突然、大黒柱が倒れてしまった
我が家はごく普通の四人家族だった。
サラリーマンを定年退職して数年過ぎた父。専業主婦の母。アラサーOLの私。新卒三年目の弟。
主な生計は、父が祖父から相続した若干の土地が生み出す家賃収入と、一年ほど前から受給するようになった年金。子どもたちからそれぞれ数万円の食費を徴収しているものの、それがないと困るというわけでもない。
家は持ち家、ローンも特になし。お金のかかる趣味を持つ家族も、ブランド好みの家族もいない。
すごく裕福というわけではないが、お金に困ったこともない。そんな平凡な(テレビドラマだったら平凡すぎてどろどろ不倫や熟年離婚を起こしたくなってしまうような)典型的核家族だった。
……のだが。
ある年の冬、何の前触れもなく、一家の大黒柱がポッキリと折れた。
その日の昼までは何事もなく健康に過ごしていた父が、夕方になって突然倒れ、救急車で運ばれた。
14時間かかった大手術の末、一命はとりとめたが、私たち家族は医師から「植物状態になることもありうる」と告げられた。
生命維持装置と呼ばれるものにつながった父を見た我々は、呆然という言葉がこれ以上ふさわしい状態はない、というくらい呆然とし、その場に立ち尽くしたのだった。
さて、ドラマや小説だったら、この後、家族たちが悲しみに暮れて号泣したり、毎日病院に張り付いたり、奇跡を信じて力を合わせたりするシーンが入るのだと思う。
間違ってはいない。私たち家族もその全部をやった、ような気がする。多分。
なぜそんな曖昧な表現をするかというと、術後、いったん家に帰り仮眠を取り、再度病院へ出向いた、そのときの記憶の方が鮮明だからだ。
お会計をお願いします
「そんなに早く目が覚めることはありません。これから長いですし、今日は一日ゆっくり休まれては。何かありましたらすぐご連絡しますから」
ICUでそう看護師から声をかけられた私たちは、とぼとぼと病院を後にしようとしていた。
そのとき、声が追いかけてきた。
「あ、砂東さん。本日できたらお会計をお願いします」
オカイケイ……。
一瞬変換をし損ねる。なんだか場違いな言葉だ。
とはいえ、近所のスーパーで牛乳を買おうが、十時間を超える手術をしようが、必要なのはお会計である。
家族で指定された部屋(医療事務全般の業務を行う、入院患者専用の会計スペースだったのだろう)に向かい、肩を落とす母を弟に任せ、一人で窓口に向かった。
少々お待ち下さい、と案内された近くのソファでぼうっとしていると、「なんとかならないんですか」という老婆の切実そうな声が耳に飛び込んできた。
「来月になれば、年金が入るんです。それまで待っていただけないんでしょうか」
「いえ、こちらもそういうわけには……」
「だって、知らなかったんですよ、あの部屋がそんなに高い部屋だなんて。入院したら、そこに入れられてしまって」
うわぁ。
医療ドラマでよく見るやつ! と思いながら一瞬顔をしかめかける。
聞きかじりだが、どうやら
老婆の夫が救急車で運ばれて入院。
→術後、案内された部屋が一泊数万の高額な部屋だった。
→しかしそのことを老婆は知らなかった。
→お会計でびっくり。
→月末で現金がないため払えない。が、次の月になれば年金が入る。
→翌月まで待ってほしいとお願いするが、病院側は無理だと言う。
いわゆる、「差額ベッド代」というやつだ。
普通、入院するときに部屋代はかからない。でも、一つの部屋に四人以下しか患者がいないとか、一人あたりの面積が何平方メートルだとか、そういう基準を超えた部屋に入院すると、その「差額」を払わなくてはならない。健康保険も適用されないから、100%自腹だという。
でも、こういう場合、どうするんだ?
この時点で既に25日を過ぎているため、翌月はそう遠い未来の話でもない。無い袖は振れないと思うんだけど、たった数日のために(年金の支払日がいつかはわからないが)親類縁者に借金を申し入れたり、消費者金融に走らせたりするのだろうか?
通常、差額がかかる部屋に患者を入院させるときには、きちんと家族の同意をとらねばならない。
病院からすると「サインしましたよね?」というところだろうが、夫が倒れて動転している妻に、細かい文字の書類を最後まで読め、というのはいかがなものか。一言、
「この部屋、高額ですけど、いいですか?」
そう言ってから書類を渡すことだってできると思うのだけれど。
「絶対に」区役所へ行け
そうこうしているうちに「砂東さーん」と呼ばれたので、窓口に向かう。
「……あのですね」
と、お姉さんが真剣な口調で切り出した。
「2月中に、絶対に、区役所に行って、高額療養費の限度額適用認定証をもらってきてください」
「え、なんですかそれ」
「国民健康保険に加入している方に、自己負担額3割で計算してもなおかつ多大な医療費がかかった場合、収入によって決められた限度額を超えた額は支払わなくてもよい、という制度なんですけど」
マジでか。
そんな制度あったんか。
毎月毎月、給与明細からこれでもかと引かれていく健康保険料にやり場の無い怒りを感じていたが、その保障が案外手厚いことに驚く。
別に国民健康保険の回し者ではないが、これまでたいした病気もせず生きてきた身としては新鮮な情報だった。
「区役所でもらえる認定証があれば、ここで支払う金額は、その限度額まででOKなんです。いったん全額支払って、後で書類申請してお金を返してもらうという手段もあるにはあるんですけど……」
「けど?」
「砂東さんに窓口でお支払いいただかなくてはならない金額、自己負担額だけで既に200万円越えているので……」
この時点での父親の入院日数は、2日間である。
3割負担で200万超え、ということは、医療費全額だったら単純計算で630万円を超えている。
私の年収全部差し出してもまだ足りない。
なんちゅう大手術だったんや……ということを金額面でも思い知らされる。
医療費ってすごい。
当たり前だが、別に手術される前に医師に「これだけかかるよ」と言われた覚えはない。言われたところで「お願いします」というほかないのだけれど。
それにしたって、見積もりなしでいきなり2日で630万円かかりました、などというサービスが、他にあるだろうか?
あ、銀座のクラブ?
「で、ですね。認定証は治療をした月内にとってきていただかないと、支払い時に反映されないんです」
我に返った。
「ですから絶対に、28日までに、区役所に行って下さい」
「えっ、でも、今日は26日……」
そして翌日は土曜日、言うまでもなくその翌日は日曜日(=役所のお休み)である。
重ねて言えば、父親は手術は終えたものの、未だ予断を許さない状況におり(事実、この日の深夜も母の携帯に「今すぐ開腹が必要な処置を手術室行うので口頭でいいから許可を!!」と電話がかかってきた。許可がないと治療できないという)、いつ容態が急変して呼び出されてもおかしくなかった。会社には有給を突っ込んで一週間ほどフルで休むことを事前連絡済みである。
そんなときに、役所に行けと……?
え、誰が……?
「認定証があれば、今後の治療もあるんで正確には言えないんですけど、ここでのお支払は十数万円、ない場合は200万円です」
「あ、役所行きます」
いつまで続くかわからないICUでの入院生活、2日間で200万円。払えなくはないけれど、払い続けたら早々に破産する。
げにありがたきは、分かりやすい説明をしてくれたお姉さんと、国民健康保険である。
まだ話し合いが終わらないらしい老婆を横目に、家族のもとへと向かったのだった。
貴女は私なのかもしれない
そうだろうなと思っていたけれど、区役所へ行くことになったのはアラサー長女の私であった。
我が家はわかりやすく分業制で回っており、お金を稼ぐこと、貯めること、払うことに代表される社会的な事柄はすべて父が担当し、家事、育児などの家回りはすべて母が担当していた。
この状況で母に新たな業務を課すのは酷すぎる。
弟が行くという選択肢もあるにはあったが、どれだけ年を重ねようとも、なんとなく兄姉は家庭の重要事項を弟妹に押し付けることを躊躇するものではなかろうか。
認定証をつかったら、本当にこの月の医療費は十数万で収まった。
70歳以下で、平均的な収入の場合、適応される計算式はこれだ。
80,100円+(かかった医療費-267,000円)×1%
仮に630万の医療費がかかっていたとしても、この式に当てはめるとあーら不思議。
合計140,000円ちょっとの支払いですむことになる。
あなどりがたし、国民皆保険制度。
とはいえ、だ。
ふと、一時的に冷静になった頭で電卓をたたく。
こんな大がかりな手術はもうないと信じたいけれど、この調子で毎月医療費が吹っ飛んだら、一体どうなるのだろう。
私の月収と弟の月収はこの時点でトントンくらい。手取りだと、一人頭4日分(計算式に当てはめると、仮に2000万医療費がかかったとしても28万弱の支払いなので、単純に倍にはできないけれど)の医療費がひねり出せるか怪しい。
そもそも、父が毎月もらっている年金はいくらだったんだろう?
家賃収入はどれくらいあったのか。 微々たるものって言ってた気がするが。
あれ、民間の保険も入ってたよな。でもあれ、払ったあとに病状によって下りてくる仕組みじゃなかったか……。
貯金はあると思うけど、誰の口座よ。
父親の口座にあるお金、我が家は父が下ろして母に手渡しだったような気がする。
母親、父親の口座を操作できるのか?
ゾッとした。
我が家はごく普通の四人家族である。
相応の貯金があるし、贅沢好みはない。子ども二人は成人済みで、経済活動にも参加している。
それでもお金の不安が湧いてくるとは、一体どういうことなのだろう。
窓口の老婆を思い出す。
あれは、全然他人事じゃない。
他人事じゃ、ないのだ。
その後の我が家は……
結論から言えば、我が家は大丈夫だった。
母が無事に父の口座を操作し生活費を確保できたことと、そもそも計画性の塊みたいな人だった父親が、かなりの金額を貯金や保険に回していたことが大きい。
それでも「父を24時間看護をしてくれる施設に移動させなくてはならない可能性」などが出てきて、親戚にお金を借りる算段などもしていたことを付け加えておく。
父は意識を回復させるなど相当頑張ったのだが、5ヶ月後に亡くなった。
本音を言えば、どれだけお金がかかってもいいから、もっともっと長生きしてほしかったけれども。
このあと、一時的に大黒柱代理になってしまった私は、「母親ATM使えないと言い出す問題」「金庫開けられないよ問題」「寺の墓代高すぎる問題」「休眠口座に入った23円を相続金にカウントするために交通費300円かける問題」「我が家に税務署襲来問題」などあらゆる問題を目の当たりにする羽目になり、本当に疲れきったのだけれど、今思うと貴重な経験したな、という感じだ。
それでも、あのときの「これからどうしよう」とゾッとした感覚は、二度と忘れることはないのだろうと思う。