47都道府県、「この県といえばこれ!」という、とっておきの歴史の小噺をご紹介する新連載がスタートします。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです! この連載で仕入れた知識を今夜の飲み会で披露してみてはいかがでしょうか? まるで一緒に全国を旅するように板谷さんが語ってくれる連載、第1回は山梨県です。さぁ、電車に飛び乗りましょう。
都心一等地にある「根津美術館」は、だれの所蔵品?
新宿駅から中央本線の特急に乗って甲府を目指す。しばらくして八王子、高尾山を過ぎると列車は長いトンネルを通って山の中に入る。小仏峠である。ここから笹子峠までの50㎞ほどは険しい山岳路になる。中央本線は東海道本線の代替として重要な路線だが、その地形ゆえに甲府まで鉄道が開通したのは遅く、20世紀に入ってからである。
笹子の長いトンネルを抜けると、列車はやがて甲州ワインとなるブドウ畑の山のふちを時計と反対向きに廻りながらゆっくりと高度を落としていく。この甲府盆地の景色を見たければ座席は進行方向左側に限る。
場所は変わって表参道交差点、ここから西麻布へと向かうと最初の大きな交差点は都心の一等地に広大な敷地を持つ根津美術館の前だ。
明治時代、甲斐の国は相場師から叩き上げた一団の実業家を輩出した。甲州財閥と呼ばれる人達だ。この根津美術館の根津は、そんな甲州財閥の代表格である根津嘉一郎のコレクションなのだ。当時鉄道も通らなかった険しい山路の果てから、何故多くの人材が東京・横浜を目指し、そして成功したのだろうか?
※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。
鉄道王・根津嘉一郎を輩出した富士川の舟運
根津嘉一郎が甲府盆地から東京に出たのは明治22年・29歳の時、甲州財閥の先輩達と今の中央本線の敷設運動を行った。その後、保険会社の資金を運用し、やがて名のある相場師となる。
明治37年の日露戦争開戦前の恐露(きょうろ:ロシアを恐れること)に発する兜町下げ相場で、皆が株を投げる中、根津は押し目を拾った。
「どうせ戦争に負けりゃ財産も何もあったもんじゃない」
「俺が思惑で相場を張ったのは日露の戦争の一度だけだった。その他はみんなソロバンを弾いての投資だ」
根津は計算ずくが信条だ。
根津は日露戦争の相場で資産を膨らませ、その後は二度と思惑を張らなかった。経営に行き詰まった企業を買収しては、再建したことから「ボロ買い一郎(嘉一郎)」の異名をとった。特に南海電車、東武鉄道の経営再建に取り組んだことから「鉄道王」と呼ばれることになる。
そして「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念から現在の武蔵大学の前身を設立、誰も彼のことを相場師とは呼ばなくなった。
甲斐出身の民俗学者網野善彦は、甲斐を「開かれた山国」と呼んだ。富士山、日本第2位の北岳などの高峰に囲まれた甲斐は決して閉鎖的な国ではなかった。
富士川の舟運(しゅううん:舟によって交通したり物資を輸送したりすること)である。山岳路を通り八王子に抜ける甲州街道は重い物資の輸送には向かなかった。しかし一方で江戸時代の始めに徳川家康の命を受けた角倉了以(すみのくら りょうい)が富士川舟運の道を開いて江戸への物資交易のアクセスを確保していた。駿河湾までわずか1日だった。
舟運には物流の拠点の湊ができる。河岸(かし)とも呼ぶ。甲府では温泉で有名な石和(いさわ)や富士川の入り口にある鰍沢(かじかざわ)などが栄えた。河岸には倉庫ができる。人と金が集まる場所では、商品の相場が立ち、昔は賭場(とば)の開帳もごく自然なものだった。どうしたって山っ気の多い、良く言えば相場心のある人材が育つ。
やがて黒船がやってきて、横浜が開港されると、甲斐からは重たい米とともに、シルクがこのルートを使って運ばれた。シルクは当時の重要な輸出品であった。こうして甲州人達は鉄道が開通する前に横浜開港場に進出し、当時の洋銀相場(為替相場)、絹相場などを経験して相場師としての実力をつけていったのだ。そして成熟した相場師は根津のようにやがて経営者になった。
山梨のおすすめ観光スポット&グルメ
甲府へは鉄道でのアプローチがお奨めだ。特に東京方面からは冒頭にあるように、中央本線で甲府に入り、帰りは富士川沿いを身延(みのぶ)線で駿河湾まで下り静岡に出る。こうすれば山梨県の地形を体感することができるだろう。列車の進行方向右側に富士川が流れる。また帰りは静岡の青葉おでん街で一杯やっても充分に首都圏に戻ることができるーー飲み過ぎなければね。
山に囲まれた山梨県は観光ポイントが非常に多い。その中でも特にお奨めしたいのは、石和温泉の近くにある山梨県立博物館である。アクセスが少々不便だし地味な存在だが、山に囲まれた地方だけあって地学、地誌学的展示が充実している。学芸員は親切だし、展示物は良く工夫されている。路線バスをうまく使えば良いだろう。
旅といえば、グルメが欠かせない。名物のほうとう、鶏モツ煮にワインなど、山梨県は食べものにも名物が多いが、ここは甲府独特のカツ丼をお奨めしたい。甲府市内にある創業寛文年間の老舗そば屋、奥村本店では、早稲田や福井県など、日本のどのカツ丼起源説よりも古く、明治30年代後半には既にカツ丼がメニューにあったのだそうだ。但し我々の知るカツ丼は、ここではカツ煮丼である。甲府のカツ丼はトンカツ定食の皿の上のものを全部丼飯にのせたものと思えば良い。従って、(店によって様々ではあるが)トンカツとキャベツとポテトサラダが丼飯の上にのっており、ウスターかトンカツ・ソースをお好みでかける。これがサクサクして美味しいのだ。