47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです! 新型コロナウイルスの影響で自粛モードの日本ですが、板谷さんの語りで、一緒に全国を旅しているようなひと時を味わってみませんか?
【第2回】夕日しか見たことなかった県民に、朝日を見せようとした田中角栄【新潟県編】を読む
唐戸市場は日本最大のフグ市場
博多駅から鹿児島本線の在来線特急に乗ると約50分で小倉に着く。特急列車はここで折り返して大分方面へと向かうけれど、鹿児島本線は九州最北端の門司港(もじこう)駅まで続いている。この幹線から少しはみ出してしまった門司港駅こそが九州の玄関口、JR九州の起点(0キロポスト)であり九州の鉄道発祥の地であるのだ。
駅は綺麗に修復されており、隣には旧九州鉄道本社跡を利用した九州鉄道記念館が設置され、周囲の門司港全体がレトロ地区として整備されている。街全体が博物館のようになっているのだ。駅の前のまるで大きな川のような海は本州と九州を分かつ関門海峡、対岸は山口県の下関市である。
関門海峡が初めてトンネルで繋がったのは、第2次世界大戦中のことで、それほど古い話ではない。その後自動車用トンネルや鉄橋も開通し、今では海峡を渡る手段は数(あまた)ある。それでもここは是非昔の人達の目線に戻って、船を使って海峡の広さや潮の流れを体感しながら下関をめざしたい。下関行きの船の乗り場は門司港駅前にある。
船が離岸すると、やがて対岸の右手に赤間神宮の建物が見えてくる。明治維新の折り、高杉晋作が作った奇兵隊の本拠地があったところだ。若い頃の山縣有朋や伊藤博文がこの辺りをうろうろしていた。そのすぐ左手には料亭春帆楼(しゅんぱんろう)の建物が見える。
そして正面には唐戸(からと)市場、日本最大の河豚(フグ)の市場がある。下関だけでフグがとれるわけではないが、他県のフグも売買高の多い下関の市場に集まってくる、そのためにフグと言えば下関なのだ。
※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。
フグを禁止した豊臣秀吉と、フグを解禁した伊藤博文
その昔、太閤秀吉が大軍を引きつれて九州征伐にやってきた時、フグを食べて中毒死する武士が数多く出た。そのために秀吉はフグ食を禁じたのだが、その禁制は江戸、明治時代も続いた。
武士以外の身分の者は「河豚は食いたし、命は惜しし」と言いながらも食べていたようだが、武士には改易(かいえき:身分の剥奪や領地などの没収)など結構厳しい罰則規定が定められていた。特に下関がある長州藩ではフグがよくとれるだけに厳しかった。
船から見えた春帆楼、ここの当主は維新の頃は医者で、伊藤博文とは奇兵隊の頃からの知り合いだった。当主の逝去後は伊藤の薦めで病院から割烹旅館になり伊藤によって「春帆楼」と命名されたほどで、伊藤は下関に来た時の定宿にしていた。
明治20年の暮れ、伊藤が初代の内閣総理大臣だった頃、下関に来て春帆楼に泊まったが、あいにく海がしけて晩ご飯に出す魚が無かった。そこで春帆楼は打ち首覚悟で伊藤にフグを出したとされる。明治に入っても法律には「河豚食ふ者は拘置科料に処す」と禁じられていたが、実は庶民は普通に食べていたのだ。また伊藤だってお坊ちゃまの出ではない。昔は高杉らと一緒にフグを食べてその味はよく知っていたに違いない。
「こりゃ、美味い」
あらためてフグのうまさを実感した伊藤は、さっそく当時の山口県令(知事)原保太郎に命じてフグ食の禁を解かせた。かくして春帆楼はフグ料理公許第一号となり、フグ食は大阪、東京へと拡がっていったのである。
また春帆楼は日清戦争の講和条約の交渉が行われた場所である。下関条約は当時の内閣総理大臣だった伊藤博文自らが、交渉の場所を下関の春帆楼と決め、清国の代表・李鴻章(り こうしょう)と折衝したのだ。まるで自宅のようなホームグラウンドで決戦に臨んだというわけだ。現在、日清講和記念館が春帆楼に隣接して公開されている。
山口県のおすすめ観光スポット&グルメ
下関へは福岡からのアプローチがお奨めだが、逆はまた門司へのアクセスでもあるので、萩市や山口市からのアプローチも良い。また国道の関門トンネルは歩行者の通路も用意されているので、関門海峡は歩いて渡ることもできる。
下関は江戸時代の北前船の湊、また明治以降は大陸貿易の拠点でもあった。そのために大阪とともに最初に日銀の支店が開設された金融の中心地でもある。初代支店長は後の蔵相、首相の高橋是清である。
今でも下関の街にはかつて金融の街であった名残が各所に残されている。山口銀行が運営するやまぎん史料館は、案内してくれる方が親切でとても歴史に詳しい。古い銀行建築が今に残されており映画やTVドラマの撮影によく使われるそうである。建物自体に価値がある。是非寄ってみよう。
下関→フグとくればどうしても思い出すシーンがある。
場所は庄内地方だけれども、映画『おくりびと』ではモックン(本木雅弘)を前にした山崎努が、炭火で炙ったフグの白子を食べてこう言う、「うまいんだよな、困ったことに」。
下関に来たならフグを食べよう。フグは食べ物としてひとつの究極だ。どうせ食べるなら最高のものを食べたい。少々値は張るが、安い物を10回食べるよりも、究極を1回だ。この際だから公許第一号の春帆楼に宿泊してフグを食べることをお奨めする。季節は白子が大きくなる1、2月。必ず白子が入ったコースを予約すること。
古くは源平壇ノ浦の合戦、秀吉が渡り、下関の講和交渉では日本への妥協を逡巡する李鴻章が、関門海峡を通過する日本軍の船団を見て講和を決心した。歴史好きならば、翌朝春帆楼の窓から見える関門海峡は格別だ。想像を膨らませながら何時間でも見ていられるだろう。