突然のコロナショック「分散経営」の実力が試された【後編】

コロナ時代のニューノーマルをつくれ!/ 佐藤 裕久

コロナ禍で大打撃を受けている、飲食業界。以前、日興フロッギーに登場したバルニバービも例外ではない。同社は全国に91店舗(2020年7月末時点)のカフェやレストランを展開し、チェーン化・マニュアル化に頼らない個性的な店づくりを特徴としている。業界の異端児・佐藤裕久社長は、コロナ時代をどう見ているのだろうか。
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「借りられるお金を、全部借りろ」

――前回、佐藤社長の経営スタンスがコロナ前後でまったく変わっていないことを再確認しました。一方、現場のみなさんはいかがですか。一時的な売上減で、士気が落ちていないでしょうか。

現場のみんなは、全然へこたれてないですよ。もちろん、いままでのようにはいきません。デリバリーやテイクアウトをがんばってるけれど、目の前でお客さまが喜ぶ顔を見るのに比べたら、どこか心寂しい。それでもコロナが収束するまで、「自分たちらしさを貫いて、大変だけど笑っていようぜ」と、みんな思っているんじゃないかな。

僕はこういう性格なんで、現場には具合の悪いことも、包み隠さず伝えます。例えば、緊急事態宣言が出された4月、5月の売上は、前年に比べて半分以下に落ち込みました。解除後は路面店で8割近くまで戻りましたが、まだまだ余裕はありません。そういう情報を常に共有しています。

最悪の時期には、「これがもう半年続いたら、日本経済はもたないだろう」と話しました。でもこれは、悲観的なメッセージじゃありません。社会が崩壊するほどの事態になったら、われわれなんてひとたまりもない。でもそうならない限り、大丈夫。今回の試練は、これまでやってきた仕事の本質をあぶり出し、バルニバービを強くしてくれるだろう。だから前を向いて、一緒に生き延びよう。そう伝えました。

これまでも危機はありました。東日本大震災が発生した、2011年3月11日。われわれは、東京本部となる蔵前のビルのオープニングを4月1日に控えていた。かつてない震災被害に加え、福島第一原発の事故で、放射能汚染がどこまで広がるかわからない。そんな状況で職人さんたちが逃げていく中、ビルの工事が止まり、僕がやったことは2つでした。

1つは、関東にいる社員と、その家族が住める場所を確保すること。当時関東にいた社員は、100人弱くらいだったと思います。ざこ寝でもいいから、その全員が安全に住める場所を探す。そのことをまず優先しました。

もう1つは、関西で居抜き物件を探すこと。最悪、東京が放射能で汚染されたら、営業ましてや開業どころではありません。そうなったときに、社員が働く場所をつくっておかなければと思ったのです。

このように、経営者は常に最悪のシミュレーションを想定し、行動する責務を負っています。コロナショックでも、僕はそうしました。国内で市中感染が疑われる事例の増加をうけ、2月20日、すぐに経営会議を招集し、危機対応のための財務チームを発足。そこでファイナンス部門に、「借りられるお金、全額借りろ!」と指示しました。

最悪のシミュレーションとして、コロナは長期戦になると仮定しました。そうなったとき、お金はいくらあってもいい。「借りられるだけ全額」と言ってしまえば、金融機関がうちのいまの財務諸表を分析し、返済可能な額を貸してくれるだろう。だから安心して、「借りられるだけ全額」借りよう。それが、危機対応で最初に僕がやった仕事でした。

ウィキペディアのように知恵が集まった

――御社が展開するカフェやレストランは、それぞれがとても個性的です。チェーン化やマニュアルに頼らないのが特徴ですが、危機対応となると、足並みがそろわず大変ではないですか。

たしかに、われわれのグループは店によって、業態から営業時間、メニュー、価格帯まで何もかも違う。店ごとに子会社化し、そのトップに運営から人事、給与に到るまで、大幅に権限を委ねているからです。いまは91店舗を運営し、経営者は30人弱。コロナ対応で僕は大きな指針だけを出し、具体的な方法は彼らに任せました。

そこで、何が起きたか。各経営者が自分の店を守るために懸命に動き、その情報を社内メーリングリストでどんどん共有しました。ある店の工夫に対し、他の店が「それいいじゃん!」「うちは無理だから、こうしよう」と、反応する。命がけの戦術が交換され、1人で考えるよりはるかに多いバリエーションが、はるかに速いスピードで集まっていきました。

そのうち、保健所への対応や法律上の制約など、各人の得意分野からの検証も始まりました。まるでウィキペディアのように、みんなの叡智が集まり、バージョンアップしていったのです。

各店の工夫により生まれたテイクアウト・デリバリーメニュー

これが指示待ちのトップダウンの組織だと、経営者が右往左往している間に時間が経ち、指示の伝達がうまくいかず、組織が混乱する。うちの場合はボトムアップに近いけど、下から上だけじゃなく、横にも連携がとれていた。まるでアメーバのように情報が増殖しながら、目的に向かって進んでいる感覚でした。

僕は以前のインタビューで、うちの組織を、志を同じくする者たちの同盟「ユニオン」と呼びました。チェーン化でも、マニュアル化でもなく、個々の力を最大限に発揮しながら、仲間として働く。創業以来、そんな挑戦を25年間ずっと続けてきました。その分散経営が、今回すごく生きた。

調子がいい時は、トップダウンでバーっと動く組織が強いかもしれない。でも、商売はいい時だけなんて、あり得ません。いい時もあれば悪い時もある。それをトータルで見たときに、効率は悪いかもしれませんが、各自が動ける組織が最終的には強い。現場での対応を見守りながら、僕はあらためて、仲間を誇りに思いました。

苦難こそ、成長の糧

――子会社の社長たちは、一連のプロセスでずいぶん成長したでしょうね。

おっしゃる通りです。逆にいうと、経営者なんて、苦難やトラブルがあったとき以外成長しません。もともと飲食店の経営は、リスクだらけ。食中毒やお客様とのやり取り、異常気象など、ふだんからたくさんのリスクを抱えていて、子会社のトップはその中で鍛えられます。それでも1つだけ、彼らがしていない経験があった。

それが、「借金」でした。

いままでは、本部が子会社に人件費を払い、利益をシェアする仕組みでした。ですから延々と赤字を出し続けない限り、資金はショートしません。どうしても赤字の店舗は、本部が貸し付けていた。しかし今回ばかりは、短期的に全店が赤字になってしまう。その赤字分は、金融機関からの借金でしのいでもらうことにしました。

これまでも、子会社のトップはみんな、かなりの裁量をもってがんばってきました。僕がびっくりするくらい優秀なリーダーもたくさん育っています。だけどやっぱり、身銭を切る経験をしないと、創業者の気持ちはわかりません。お金は降ってわいてくるものじゃない。一杯のコーヒーを売ることで、チャリンとしか入ってこない。そのことを学ぶ、またとない機会になっているのではないでしょうか。

コロナ流行後にオープンした、水辺のテラス付きレストラン「LAND_A」

追い込まれると、人は必死に考えます。自分の店を守るのは自分しかいないと思った瞬間、成長に向かう非常に強いエネルギーが生まれます。だからこの苦境を乗り越えたとき、仲間たちはそれぞれの経験から学び、さらに大きく成長しているはずです。

コロナによって世界中で多くの人が傷つき、命を落とされている。そんな憎むべきウイルスを、ありがたいなんて思いません。けれども、そのコロナと戦うわれわれの経験値を、決してマイナスにはしない。必ずプラスにして、未来に活かしていく。収束が宣言されたら、さらに進化したバルニバービを、胸を張ってお客さまに見ていただきたいですね。

――もうしばらく、飲食業界の大変な状況が続きそうです。同じ業界でがんばる人たちに、佐藤社長が伝えたいことはありますか。

人は、食べないと生きていけません。そのとき、ただお腹を満たすだけなら、テイクアウトやデリバリーでもいいでしょう。だけどやっぱり、気持ちのいいロケーションで、心あたたまる接客を受けて、特別な時間を過ごす外食という形態を、人々は求めている。少なくとも僕は、そう信じています。

この殺伐とした、苦しい、切ない、不安な時代に、ほんの一瞬の安らぎや喜びを与えられる場所がカフェであり、レストランである――。そんな自覚を持った飲食店として前を向いていきたいし、同じ業界の仲間にもがんばってほしいですね。

バルニバービ