コロナ時代の激流を「見誤らない」ための思考法【前編】

コロナ時代のニューノーマルをつくれ!/ 橘 玲

アンダーコロナは、社会の変化についていける人・ついていけない人が分断される「残酷な時代」になる――。作家の橘玲さんはそう予測した上で、「起きている現象を正しく把握し、自分に何ができるかを考える」ことを勧めます。現状にモヤモヤした不安を抱えている人、必読です。

リベラルの最先端は、日本の若者

−−コロナ禍で多くのキーワードが出てきて、混乱しています。これからの時代を考える上で、どのような点に注目すべきでしょうか。

私は以前から、世界は「リベラル化・グローバル化・知識社会化」の大きな潮流にあると繰り返し述べてきました。新型コロナが起きた後、この3つは変わらないばかりか、より大きな影響を人々に与えています。大事なことなので、あらためてこの3つを押さえておきましょう。

−−前回のインタビューでは、アメリカの新上流階級「ボボズ(BOBOS=ブルジョワ+ボヘミアン)」が、「リベラル化」の象徴として登場しました。

ボボズは、弁護士やコンサルタント、エンジニアなど高い専門性を身につけ、組織から自立した働き方をする人々です。彼らの生活は知的で、自由。ハイテク技術を使って自然の中で暮らすライフスタイルは、アンダーコロナのStay Homeでも最強でした。

さらに最近は、米国の若者の間で「FIRE」(Financial Independence and Retire Early=経済的に自立して早期リタイア)が注目されています。若いうちから努力してお金を貯め、30代半ばにはアーリーリタイアする。お金に縛られない自由を早い段階で手に入れ、残りの人生は好きに暮らすというわけです。

ボボズやFIREはまさに、世界中で起きているリベラル化を体現する存在です。ここでいうリベラル化とは、いわゆる政治イデオロギーではなく、「自分らしく生きたい」という価値観の大きな変化のことです。

「私が自由に生きる権利」は「あなたが自由に生きる権利」によって支えられているのですから、必然的に「誰もが平等なスタートラインに立って自己実現できる社会を目指そう」ということになるでしょう――。この価値観がセレブリティのSNSなどを通じて世界中に広がっていることがリベラル化の本質です。

リモート取材に答える橘玲さん

先進国が豊かになり、人々が高い教育が受けるようになると、“多様な個性”が認められる社会になります。現代社会では、右派であれ左派であれ、「恋愛でも仕事でも生き方でも、私が自由に選択したい」「生まれてきたのは偶然でも、ものごころついてからは、自分の人生は自分で決めるべきだ」というイデオロギーを否定することはできません。

一方、価値観が多様化すると、1つの目的に向かって集団で突き進むことが難しくなります。結果として、国家や会社といった“共同体の力”が弱くなる。これが、いま世界で起きていることです。米トランプ大統領のようなポピュリストが「自国ファースト」と言って共同体を守ろうとするのは、リベラル化によって社会が個人へと解体されていくことへの人々の不安を表しています。

意外に思うかもしれませんが、実はこのリベラル化の最先端をいっているのが、日本の若者です。「世界価値観調査」という大規模な国際調査があるのですが、そこで「人生の目標」について質問すると、中国や韓国の若者だけでなく米国の若者ですら「親が私を誇りに思うことが人生の目標のひとつである」という回答が6~7割あります。一方、日本の若者はこの答えが極端に少ない。

その代わり圧倒的に多いのが、「他人に迎合するよりも、自分らしくありたい」と「自分の人生の目標は自分で決める」です。親の意識調査でも、日本ではほとんどが「子供には自分が望む人生を生きてほしい」と思っています。似たような結果が出るのは超リベラルな北欧の国々だけ。日本の若者の意識は、世界的に見て最もリベラルなのです。

−−それは意外です。日本人の多くが会社に縛られていますが、若者は、そんな働き方を望んでいないということですね。

多くの若者はすでに、「こんな会社にいても幸福になれない」と気づいているんじゃないでしょうか。心の中で「自分らしく生きたい」と願っているのに、実際に働くのは、閉鎖的なムラ社会。最近になってさまざまな国際調査で「日本人は世界でいちばん会社を憎んでいる」「日本のサラリーマンは世界でいちばん仕事のやる気(エンゲージメント)が低い」という結果が出ていますが、期待と現実の大きな落差を象徴していると思います。

いまは短期間で転職を繰り返したり、ベンチャーを立ち上げる若者も増えてきたようです。「近ごろの若い奴はすぐ会社を辞める」と批判する声も聞かれますが、日本の会社の旧態依然とした慣習が若者の期待に応えられないのだから、当然のこと。新型コロナをきっかけに、自分にとってよりよい働き方を目指す動きは、より顕著になっていくでしょう。

監視社会の勝利という「不都合な真実」

「グローバル化」についても考えてみましょう。新型コロナでヒトとモノの移動が制限され、グローバル化は後退しているとの意見があります。しかし、感染症には国境がなく、ウイルスはグローバルな存在です。中国人の感染症、アメリカ人の感染症などという区別はないのですから。

いま世界は、感染症克服という共通の課題に立ち向かっていて、「どの国がうまくやっているか」という結果が丸見えになる。いい方法があれば他の国がこぞって真似しますから、最終的に世界中のシステムが平準化されていく。こうやって「システムのグローバル化」が、かつてないほど進むでしょう。

−−物理的なグローバル化ではなく、社会システムのグローバル化ですね。感染症対策という点では、中国がいち早く結果を出しました。

私は、米中対立の原因の1つが、ここにあると考えています。感染拡大を防げなかった米国に対して、中国は早い段階で監視と行動規制を徹底し、感染を封じ込めることに成功した。こうして中国政府は「勝利宣言」するのですが、誇り高きアメリカ人にとって、「リベラルデモクラシーが一党独裁に負けた」というのはとうてい受け入れがたい。

米国の保守層だけでなく、リベラルな知識人まで盛んに中国批判をするのは、この事実を認めたくない心理が働いているからだと思います。

でも国民の側からしたら、どうでしょう。多少監視されても、感染の不安なく経済活動が再開できるなら、その方がいいと思う人が多いかもしれません。実際、中国の4~6月のGDP成長率は3%を超えています。感染抑制に苦慮する欧米諸国とは明らかに差が出ています。

私は新型コロナの問題を、「感染抑制」「経済活動再開」「プライバシー保護」のトリレンマとして捉えています。この3つを満たすことはできず、どれか1つを犠牲にしなくてはいけない。いまは先進国の多くが「プライバシー保護」を優先していますが、いずれ中国の成功にならって、ゆるやかな統制社会に移行していくのではないかというのが、私の予想です。

個人も会社も「分断」が進む

−−もう1つの潮流である、「知識社会化」について教えてください。

ここはどうしても、身もふたもない言い方になってしまうのですが……。
「知識社会化」とは、仕事に要求される知識レベルのハードルが時代とともに上がっていく現象のことです。

いまの日本では、多くの大企業が社員に大卒以上の学歴を求めます。しかしグローバル企業では、日本の一流大学でも学士は「低学歴」で、修士・博士の資格や語学力、専門スキルなどのさらに高いスペックを要求されるでしょう。そのうえアンダーコロナでは、オンラインでのコミュニケーション能力や、変化する状況に対応する能力なども、仕事の上で必要になりました。

テクノロジーの発達とともに知識社会が高度化していくと、必然的に、その高い水準についていける人・いけない人が出てきます。脱落する人が増えれば増えるほど、ついていける人の稀少価値が上がり、大きなアドバンテージを得る。

そうやって両者の差が開き、深い溝ができてしまうのが、世界中で問題になっている「格差拡大」「社会の分断」です。

つい最近、去年までシリコンバレーに住んでいた知り合いから、奇妙な光景について聞きました。グーグル本社やスタンフォード大学の前の路上にトレーラーハウスが列をなして、家族で暮らしている人たちがたくさんいるというのです。

これだけなら「ホームレスが増えているのか」と思うでしょうが、驚くのは、その人たちの多くが定職についていて、フルタイムで働いているということです。なぜこんなことになってしまうのか。

シリコンバレーは世界中から優秀な頭脳が集まり、富裕層が多く住む地域ですが、規制が厳しくてアパートを増やせず、少ない住宅に借り手が殺到して家賃がどんどん上がっています。その結果、公立学校の教師とか市役所の職員など、日本なら「安定した仕事」とされる人たちが家賃を払えなくなり、トレーラーハウスを買って「ホームレス」にならざるを得なくなっている。日本ではちょっと想像できない光景です。

−−分断社会の行き着く先を示しているようですね。

これは極端なケースですが、日本人も他人事ではありません。アンダーコロナにおいては、会社間でも格差が拡大していくからです。

一方にあるのは、変化についていける会社。リモートワークをはじめ自由な働き方の環境を整え、成果を出せば正当に評価してくれる。もう一方は、変化についていけない会社。毎日定時に出社することが前提で、終身雇用・年功序列の中で評価が決まる。若くて優秀な人材がどちらの働き方を選ぶかは、考えるまでもないですよね。

いつしか、旧態依然の会社に残るのは「知識社会に適応できない人」ばかりになり、ますます両者の差が開いていく。前者の社員は20代で年収1000万を稼ぐのに、後者は年収300万で滅私奉公を強いられる。両者が分断されて憎み合う、ディストピア的な未来が想像できてしまうわけです。

−−なんだか背筋が寒いですが……。労働者である私たちは、どうすればいいのでしょう。

分断や格差はもちろん大きな問題ですが、個人の力で社会を変えるのは容易ではありません。私ができるアドバイスは、これからどんな未来がやってくるかをわかった上で、自分の生き方をアジャストさせること。具体的には、「自由に生きられる場所」に移ることです。

−−ぜひ次回、詳しく教えてください!