若者たちへ。置かれた場所で、咲かなくていい【後編】

コロナ時代のニューノーマルをつくれ!/ 橘 玲

アンダーコロナは、社会の変化についていける人・ついていけない人が分断される「残酷な時代」になる――。作家の橘玲さんはそう予測した上で、「起きている現象を正しく把握し、自分に何ができるかを考える」ことを勧めます。現状にモヤモヤした不安を抱えている人、必読です。
コロナ時代の激流を「見誤らない」ための思考法【前編】を読む

格差がSNSで可視化される

−−前回のお話で、コロナをきっかけに社会の分断が進む“ディストピアな未来”が示されました。その中で、個人はどう生きるべきかが今回のテーマです。正直、不安しかないんですが……。

「誰もが自分らしく生きられるべきだ」というリベラルな世界は、高度化する知識社会に適応できる人にとってはすごく生きやすい。仕事の能力を活かして高収入を得て、自己実現できる人は、国籍や人種、性別や性的指向のちがいなどで差別されない社会に生まれた幸運をフル活用できるでしょう。

彼ら・彼女らがSNSで発信する「今日も楽しかった!」「こんなに幸せ!」というメッセージは、自己実現の途上にある人たちに大きなプレッシャーを与えます。多分に“盛って”いるでしょうから、本当はそこまで気にしなくていいのですが、鬱屈している人には必要以上にまぶしく見える。「なんで自分はこんなにコツコツ働いて、幸せになれないんだろう」と不安になり、自尊心が下がってしまいます。

このように社会が二極化していくと、下の方でがんばり続ける人たちの間で生きづらさが増していく。この状況をネットスラングで「上級国民/下級国民」といいますが、現代はその格差がSNSなどで可視化される“残酷な時代”といえます。

リモート取材に応える橘玲さん

その中であえて若い人にアドバイスをするとしたら、「置かれた場所で、咲かなくていい。あなたが花を咲かせられる場所に移りなさい」になります。

『置かれた場所で咲きなさい』や『嫌われる勇気』といった本がベストセラーになるのは、日本社会の閉鎖性を象徴しています。どちらも環境を自分で変えられないことが前提になっていて、だったら自分が環境に合わせて変わるしかない。どんなにつらい状況でも耐え抜き、あるいは嫌われる勇気を持てるようになって、環境に順応しようとする発想です。

しかし、これからの「人生100年時代」には、20歳から80歳まで60年間働きつづけることが当たり前になるでしょう。どんな人でも、嫌いな仕事を歯をくいしばって半世紀以上やりつづけるなんて不可能です。今いる場所で自分らしく咲けないのなら、あえて「場所を変える」勇気を持つべきです。

最近、興味深い研究結果を知りました。先進国では、歳をとると血圧が上がると思われていますよね。ところがアマゾンの伝統的社会では、歳をとっても血圧は上がらないことがわかった。高齢者に血圧が高い人が多いのは加齢のせいではなく、別の理由があるのです。

その原因は、ストレスだと考えられています。ギリギリの状態で「がんばる」人は、闘争/逃走反応を高める交感神経がしょっちゅう刺激され、血圧が上がるとともに免疫力が落ちてしまう。この状態が長期間続くと、脳梗塞や心筋梗塞のリスクが高くなります。

意志の力でひたすら耐えてがんばれば、ある程度の成功は可能かもしれませんが、その代償として寿命が縮む。「置かれた場所で咲く」戦略は、仮にうまくいったとしても、成功の果実をじゅうぶんに味わうことができないのです。これは、もうひとつの残酷な真実でしょう。

環境よりも個性を重視せよ

置かれた場所で咲けなくても、場所を変えたことによって活躍した人はたくさんいます。例えば、ADHD(注意欠如・多動症)の子供は、学校生活で苦労しますよね。集中力や落ち着きが持続せず、決められた時間に決められたことをするのが苦手だからです。

しかしその代わりに、興味を持ったらADHDの子供はひとつのことにトコトン集中することができる。そうしたアドバンテージを活かして、芸術やスポーツなどの分野で大きな成功を収めているのです。個性を「矯正」するのではなく、その個性を活かせる場所に移ること。今いる場所が合わなくても、自分の個性をしっかりと見つめることで、別の選択肢が見えてくるはずです。

−−今いる場所がつらければ、楽になれる場所を探す。頭の切り替えが必要ですね。

そのためには、若いうちから意識して「人的資本」を大きくしておくことが大切です。人的資本とは、一言でいうと「専門性」。会社がお金を払って買おうとする、差別化された知識やスキルを指します。

人的資本を大きくするには、何でもいいから自分が好きなこと・得意なことを見つけて、それを続けることで経験値を増やす。音楽でもゲームでも料理でも、どんな些細なことでもいいのですが、時間と労力をかけて1つの分野を掘り下げれば、みんなから一目置かれる存在になれるでしょう。

もうひとつ重要なのは、好きなこと・得意なことをマネタイズする方法を見つけることです。最初は暮らしていくのに精いっぱいでも、好きなこと・得意なことを続けていけば経験値は上がっていきます。しかし、最低限の生活すら不可能ならすり切れていくだけですから、別の可能性にチャレンジした方がいい。現実には、この見極めが難しいのですが……。

好きなこと・得意なことが1つでもあれば、何もかもうまくやる必要はありません。自伝ノンフィクション『80’s エイティーズ ある80年代の物語』に書きましたが、私自身、大学を出たときは、なぜ働くとお金がもらえるのかもわからない状態で、出版業界の最底辺に拾ってもらって、24歳で何もわからずにギャル雑誌を立ち上げて、風紀を乱すと国会で怒られたこともありました。

結果だけ見れば散々ですが、それを人に話すと、「よくそんなことやったね」と面白がってくれて次の仕事につながりました。みんな、たまたま出会った若者に大きな可能性があったらいいな、と思っているんです。

だから若いときの失敗は、逆に高く評価されたりする。「能力がなければ失敗すらできない」と思われますから。とはいえ、こうした「ゲタをはかせてもらった」状態は20代までで、30代半ばを過ぎればそれまでの実績で評価されるようになるわけですが。

豊かで多様性のある社会は、生きづらいこともあるけれど、一方で昔なら適応できず社会から弾き出されたような人も、居場所を見つけることができる。多様な価値観を認めるリベラルな現代に生まれたメリットを活かして、若い人には、自分が輝ける場所に積極的に移っていってもらいたいと思います。

なぜ今「働き方改革」なのか

−−海外に比べて、「日本企業は流動性が低い」とよく言われます。無理に転職するより、せっかく入れた会社にずっといる方が得なこともあるのではないでしょうか。

年功序列・終身雇用を何が何でも守りたかったのは、団塊世代です。旧態依然とした日本的雇用は、同質性の極端に高い、「多様性」とは程遠い組織をつくってしまいました。

団塊世代は良くも悪くも、戦後日本の中核を占めていました。政治家にとってはいちばんの票田ですから、彼らの神経を逆なでする政策は実行できません。

これが、団塊世代が現役の間は、「年功序列・終身雇用をやめて雇用を流動化し、若い人が再チャレンジできる社会をつくろう」と言えなかった理由です。理屈のうえではどれほど正しくても、あと10年会社にしがみつけば多額の退職金と年金をもらえる団塊世代が、そんな改革を支持するわけがありません。

ではなぜ今になって、よりによって「真性保守」の安倍政権で「働き方改革」を実行できたのでしょうか。もうおわかりですよね。団塊世代が引退し、世代交代が起きたからです。このタイミングでやっと日本は、雇用の流動化をはじめとする「働き方改革」に手をつけることができました。

さらに新型コロナの流行で、リモートワークなど、多様な働き方に半ば強制的に移行せざるを得なくなりました。対面の会議に固執する会社のコロナ対応に絶望した若い人たちが、「自分にとってのいい環境」を求めて転職する動きも増えてくるでしょう。

日本でも、グローバルスタンダードの多様な働き方が可能になっていく。「自分らしく自由に生きる」ための大きなチャンスが到来したのだから、これを逃す手はないですよ。

−−アンダーコロナは、自分にとってベストな場所はどこか? を考えるいい機会ですね。不安がってるヒマはない。ありがとうございました!