幕末に流行った替え歌で、高知を有名にしたよさこい節

思わずドヤりたくなる! 歴史の小噺/ 板谷 敏彦

47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです。

第23回は高知県。坂本龍馬の故郷として良く知られ、空港にも龍馬の名前が入るほど。その龍馬たち元土佐藩脱藩浪士が歌い、高知を有名にしたのがよさこい節。歌詞の背景となったのは、2人のお坊さんとの禁じられた恋愛でした。よさこい節の元となった恋物語の内容とは……?
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「土佐日記」の時代には大部分が海だった

高知市は北方に急峻な四国山地があり、そこを源とする鏡川の下流域に高知城などを含む中心部がある。また東からは国分川が流れ込み大きな三角州を形成している。紀貫之(866〜945年)が『土佐日記』を書いた頃、市の中心部の大部分はまだ海だったが、その後干拓がすすみ陸地化した。

高知県の推計人口は68万人、高知市にはその約半分の32万人が住んでいる。市域は平成大合併によって広くなったが、中心部はコンパクトにまとまっている。東西に広がる平野部には路面電車が走り、暮らしやすい都市構造である。

市内には高知城の周辺に掘られたお堀や運河が流れ、鏡川、浦戸湾を経て土佐湾へつながっている。よさこい節の歌詞で有名な「はりまや橋」もこうした運河にかかる橋であった。

高知市の中心部はコンパクトにまとまっている

※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。

よさこい節の背景にあった「2人のお坊さんの悲恋」

高知龍馬空港のレストランでフライトまでの時間待ちをしていると、近くの席でストレッチジーンズを履いたちょっとイケてる2人の若い女性が一台のマックブックを見ながら仕事の話をしていた。

しばらくすると、

「ちょっとお土産買うてくるわ」

一人の女性がそう言った。関西弁だ。

「何買うん?」
「高知やで、かんざしに決まってるやんか」

有名なよさこい節が僕の頭をよぎった。そうか、かんざしは今でもお土産の定番になるほどの土佐の名物だったのか。

「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」

この歌は髪の毛の無い坊さんがどうしてかんざしを買うのか、そこが不思議で面白い話なのだと漠然と思っていたが、実は少し違った。これは幕末の悲しい恋の話だったのだ。

時は嘉永6(1853)年、黒船が日本にやってきた年である。はりまや橋たもとの小間物屋「橘屋」でかんざしを買ったのは、五台山竹林寺のお坊さん・慶全(25才)。そしてそれをプレゼントされたのは寺の雑事の手伝いをしていた美貌の娘・お馬(17才)。

当時の高知では噂話を歌にして楽しんだ。坊さんがかんざしを買ったという話は、よさこい節にのせて面白おかしく町中に伝わった。噂の主の慶全は追及され、上司の純信(37才)によって寺を追放されてしまう。しかし、今度は純信がお馬に入れあげて逢瀬を重ねることになる。年の差20才。お馬は今でいう魔性の女なのだろう。

よさこい節の舞台「五台山竹林寺」にある五重塔

これに嫉妬した慶全は、「かんざしを買ったのは、純信だ」とフェイク・ニュースを言い触らした。そこで寺が今度は純信を取り調べて見ると、関係が発覚する。純信は謹慎処分となり、お馬も寺への出入りを禁止されてしまった。

逢うなと言われれば余計に逢いたくなるのが恋心。当時の37才、今なら50才というところか。分別のある年齢のはずが、思い詰めてお馬を連れてとうとう駆け落ちしてしまった。讃岐への街道を北へ向かい、関所を避け間道(脇道)を抜けて国境を越え、ようやくたどり着いた旅籠がこんぴら宮参道石段の「高知屋」。当時国抜け(許可なく藩を出ること)は重罪である。ここで二人は藩からの追っ手に捕らえられる。

二人とも捕縛されて高知の町中でさらされたあげく、純信は国外追放、お馬は室戸岬の方面へと追放された。二人は二度と会えない定めとなったのだ。

岩崎 義郎(著)『追跡! 純信お馬―駆け落ち百五十年』(高知新聞社)

龍馬たち土佐脱藩浪士が歌い替え

よさこい節のもとの歌詞は「おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買いよった」だったが、誰かは知れど坂本龍馬などの土佐脱藩浪士たちが京都で三味線片手に遊ぶうちに今のように歌い変えたらしい。おかげで歌詞に出てくる土佐も高知も有名になった。

元の歌詞「おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買いよった」

今の歌詞「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た」

しかしよくよく考えてみれば、龍馬たちが命がけで成し遂げた明治維新によって、藩の国境がなくなり、日本中どこへでも行けるようになった。純信とお馬ももう少し後に生まれていればめでたく結ばれていたのかもしれない。

さて、フライトの時間がせまって、筆者は土産物屋でかんざしを探したが、そこに積み上げてあったのは和菓子の「かんざし」(浜幸)。名物に美味いもの無しとはいうが、これは本当に美味しい。

今でも高知土産の名物「かんざし」

高知のおすすめ観光スポット&グルメ

高知龍馬空港と、飛行場に龍馬の名前を付けてしまうほど、高知は坂本龍馬で溢れている。作家司馬遼太郎は坂本龍馬を書くにあたって、これはあくまでフィクションの小説であるということを知らしめるために『竜馬がゆく』とわざわざ名前の漢字をかえた。

桂浜にある龍馬の銅像

しかしながら、小説やそれをもとにしたドラマはあまりにも魅力的で、司馬遼太郎氏が描いた龍馬像が広く世間に広がることになる。問題視する人もいるが、細かい史実にこだわるよりも、龍馬に興味を持ち高知を訪ねる人が増えればそれに越したことはない。高知に来れば詳しい史実がよくわかる。

高知城近くの龍馬の生家があった場所に市立「龍馬の生まれたまち記念館」がある。また土佐湾に面した桂浜には坂本龍馬の銅像とともに「高知県立坂本龍馬記念館」があり、どちらも充実した内容を誇っている。

また、市内中心部の高知城は江戸時代に建設された本丸と本丸御殿の両方が残る全国で唯一のお城である。麓にある県立「高知城博物館」とともに見ておきたい。「龍馬の生まれたまち記念館」や高知城にはボランティアのガイドさんがいるので是非案内をお願いしよう。本の知識だけではわからない事がたくさんある。

高知城の追手門と天守閣

時間があれば、純信がいた四国八十八箇所霊場31番札所である五台山竹林寺も訪ねてみたい。竹林寺に隣接する「高知県立牧野植物園」も約3千種類の植物があり見所が多い。これは何の花なのか、という普段から抱いていながら、なかなか解決しない疑問へもまとめて回答をくれた。園内にはお遍路の道やお馬が竹林寺へと通った「お馬路」もある。

高知のグルメと言えば、かつおのタタキが思い浮かぶだろう。最近はポン酢よりもシンプルに素材を味わう塩タタキが人気だ。また鯨料理も食べたいところ。そんな欲求を一度に満たしてくれるのが土佐名物の皿鉢(さわち)料理だ。地酒・酔鯨が飲める居酒屋「酔鯨亭」では二人前からタタキや鯨、ウツボ料理などを盛り込んだ皿鉢料理を提供してくれる。これだけでお腹がいっぱいだ。

一度にさまざまな料理を頂ける皿鉢料理。写真は「酔鯨亭」の二人前

高知は酒豪の町でもある。繁華街帯屋町商店街には「ひろめ市場」という独特のフード・コートがある。中には飲食店がところ狭しと並び、高知名物鰹のタタキの他、鶏や牛、海産物などを注文して食べることができる。お酒もあるので昼からでも飲める。

オーセンティックなショットバーでは昔から高知の「フランソワ」が全国レベルで有名だ。名物バーマンの鈴木章弘氏は一昨年(2020年)に亡くなられたが、相棒だった方が後を継いで、往年の雰囲気を継承している。

もうひとつ、高知にも博多のような屋台文化がある。ひろめ市場で昼から飲み始め、皿鉢、バーときて、シメは屋台のラーメン・餃子というのは如何だろうか。ちょっと飲み過ぎかもしれないが。高知の屋台餃子は今や一部東京へも進出している。

高知の喫茶店のモーニングは豪華なことで知られている。ホテルに泊まるのであれば朝ご飯ナシを選択して、喫茶店で朝食を食べるのも一案である。

ボリューム満点! 「珈琲館デポー京町店」のモーニング