金を買うなら有事? 金の歴史をひも解く

思わずドヤりたくなる! 歴史の小噺/ 板谷 敏彦

いつもは47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載ですが、今回は番外編。金(きん)は、古代エジプトでは太陽のシンボルとして王たちに愛されていました。いまでも投資で根強い安定感をもつ金の歴史とは。

その輝きと希少性から富のシンボルとなった金

人類が金と出会ったのは今から7、8千年前と考えられている。金は当初から普段使いの交換手段として利用するにはあまりに希少だった。メソポタミア文明でも銀や小麦が原始的な貨幣代わりとして使われていた。金はむしろ富のシンボルや装飾品として使用され、現代に残されている。

古代エジプトでは太陽を神様と崇拝していた。この眩しく輝く太陽を表すシンボルとして、金は王たちによって愛された。エジプト展に行くと金で作られた展示物が多いはず。これは、王たちに独占された金の希少性とともに、時代を経ても錆びたり変質したりしないことの表れでもある。

ギリシャ神話に登場するディオニュソス(ワインと豊穣の神)は、養父を助けたミダス王へお礼に何でも望みを叶えてあげようと言う。それに対してミダス王は、自分が手に触る物すべてが金へと変わる能力を所望した。

ミダス王も最初のうちは無限の富を作るこの能力を喜んだ。しかし、食べ物を食べようとすると金になって食べられない。愛する娘を抱くと金の像になってしまう。いくら金があってもちっとも幸せでは無いことに気づく。この話は、人生は金だけでは幸せにはなれないという逸話の第1号かもしれない。

紙幣のルーツは、金保管業者が発行した「預かり証」

コインが発明されたのは、紀元前7世紀。金を同じ重さの小さな団子状にしていくつも作り、これを台座の上にのせて王の印が掘られたハンマーでドンと叩く。すると刻印が入った同じ重さのコインがいくつもできるというわけだ。これはリディア・コインと呼ばれている。刻印は金の品質保証の印ともなった。これ以降、金はコインとしても広く普及することになる。ローマ帝国のコインは数多く現代に残されて今でも骨董品として売買されている。

時代は17世紀の英国に飛ぶ。コインは世界中で普及したが、この時代のロンドンは市民革命などで治安が悪くぶっそうで仕方がなかった。資産家は金塊やコインを自宅に置くよりも、金を保管したり加工したりするゴールドスミス(金匠)という業者に預けるほうが安全だった。

ゴールドスミスは金を預かると代わりに預かり証を発行する。資産家は預かり証を出せばいつでも金と取り替えることができた。預かり証は紙なので軽いし運びやすい。いつしか資産家は預かり証を使って売買の決済をするようになった。わざわざ金を引き出さなくなったのである。

するとゴールドスミスは、資産家全員が必ずしも金を引き出しに来るわけでは無いことに気がつく。言い換えると、預かった金すべてを保管しなくても大丈夫。預かっている金の、例えば倍ぐらいまでなら預かり証を発行しても問題がないことに気がついた。

1万ポンドしか金を保管していないのに、2万ポンド分の預かり証を発行する。なんだか詐欺みたいな話でもあるが、これが「信用創造」である。これは「ゴールドスミス銀行説」といって、銀行の信用創造機能と銀行券=紙幣の始まりでもあると言われている。もちろん多くの資産家が一度に金に換えようとすると破綻する。これは現代の銀行でも同じである。

信用創造……銀行が貸し出しを繰り返すことによって、銀行全体として最初に受け入れた預金額の何倍もの預金通貨を作り出すこと

より貿易をしやすく! 各国が採用した金本位制

ゴールドスミスが預かり証を発行したように、国家単位で金との交換(兌換・だかん)を保証した通貨制度を金本位制と呼ぶ。世界覇権を握った19世紀のイギリスは金本位制を採用した。いつでも金と紙幣を交換できる金本位制では、ポンド紙幣を所有することは金を保有することと同じ価値を持った。

同時に、イギリス以外の各国も自国通貨を金本位制にすれば、国際決済通貨であるポンドとの為替変動はなくなって、貿易がしやすくなる。19世紀後半にかけて先進各国はこぞって金本位制を採用した。日本も1897年にポンドで受け取った日清戦争での賠償金を元手にこの仲間に入った。

金の保有量からみる戦前の日本

戦前日本の歴史を金の保有量という観点から眺めて見よう。グラフの濃い縦棒が内地正貨、薄い縦棒が在外正貨である。内地正貨とは、日本国内に貯蔵された金塊。在外正貨とは、日本政府関連の名義でイギリスやアメリカなど信用のおける国に預金された外貨(金銀貨幣・金銀地金など)である。合わせて内外正貨と呼ぶ。この正貨を準備金として日本は金本位制を維持した。

正貨…金本位制をとっていた各国の中央銀行が保有する金貨幣、金など
内地正貨…日本国内に貯蔵された金
在外正貨…日本政府関連の名義で外国に預金された外貨・金
内外正貨=内地正貨幣+在外正貨

①1904年の日露戦争に際して、日本はロンドンやニューヨークで外債を発行して外貨を調達した。集まった外貨は現地の外銀に預金されたので、在外正貨としてカウントされ薄い縦棒が伸びている。戦争でかなりの外貨は国外へ出てしまったが、戦後も金本位制維持のために一定量が残された。外貨は少しずつ金に換えて日本に輸送した。しかし輸入が多い日本の体質は変わらず、正貨全体の量は縮小して行った。

②正貨が減って、もう金本位制の維持が困難だという時に第一世界大戦が始まった。英仏独露など欧州の交戦国は工業生産を軍需物資に集中。日本は隙が出来た世界の民生品市場に製品を輸出して大量の外貨を稼ぐことができた。財政系の元老・井上馨は第一次世界大戦を「大正の天佑(天の助け)」と呼んだ。海外のポンドやドルも金塊に換えてせっせと日本へ輸送した。その後、世界は大事な金がむやみに出て行かないように金本位制を停止する。輸出が多かったアメリカも参戦に伴い停止すると日本も追随した。

③1918年に戦争が終わってしばらくすると、戦中の輸出ブームに伴って発生したバブルが破裂した。日本はすでに経済規模が大きくなっている。輸出は減っても輸入の勢いは止まらなかった。在外正貨から次第に減っていく。1919年にはアメリカが金本位制に復帰。先進各国は戦前の常態に戻るため、国際会議で金本位制に回帰することを約束した。日本も復帰を目指すが、1923年に起こった関東大震災からの復興のため、輸入が増えて正貨がどんどん流出し歯止めがきかなくなってしまう。

復帰のためには、輸出入をトントンにしなければならない。国民全体で節約することで輸入を減らし、頑張って輸出を増やす。また国際競争力の無い産業には退出してもらい、競争力のある新しい産業を育まねばならない。これは弱小企業を切り捨てる過酷な決断であった。金本位制の復帰を目標にして緊縮財政を実行し、しばらくは不況に耐えながらも日本経済の体質改善を図ろうというのである。

そしてこれを行えば軍事費も切り詰められる。この頃から軍部が勝手な動きを始め過大な予算を要求するようになっていた。

日本は当時の経済力から見て過大評価された第一次世界大戦前の為替レートで無理に金本位制に復帰する(金解禁)。このため為替は自然の摂理で適正値である円安に向かう。投機筋がそれに乗ったため、政府は円を買い支えるために正貨を浪費。そのうえ、国内に貯蔵してあった金塊までも海外に出ていくことになった。結果、日本の正貨は半分に減り円安に。ドル円は1ドル2円だったものが一時期4円50銭を越えて、3円50銭近辺で落ち着くことになった。

当時の軍備には鉄や石油が必要であったが、これらは輸入するしかなかった。しかし日本円は半分の価値になっている。円建てで軍事予算をいくら増やしてもどうしようもない。お金で外国から物を買うことができない日本は他の手段、大陸や仏印(仏領ベトナム)、南洋(オランダ領インドシア)進出による略奪をすることになった。

細かい事象が多く理解しにくい20世紀前半の日本史も、国の懐事情である正貨の趨勢を見ることによって見えてくるものがある。日露戦争によって先進国の仲間入りを果たした日本は、第一次世界大戦を経て世界5大国のひとつにまで数えられるようになったが、その後が続かなかった。1930年代には十分な正貨がなくなり、軍部の台頭とともに戦争へと向かって行ったのである。

戦争が起こった理由が金本位制のせいだとは思わない。ただ、金本位制の運営を間違えた(無理なレートでの復帰)から金は流出していった。また金本位制が機能していれば戦前の国家予算の半分も占める軍事費は許容されず、したがって日本の軍国化も阻止できたかもしれない。

現代においても時折その採用を言及される金本位制、しかしそれはやはり過去のものである。

輸出が多ければ準備金は国内に貯まり、輸入が多ければ国内の金は減って行く。しかしこれだと世界の通貨発行量は世界が保有する金の量によって制限を受けてしまう。通貨が増えないのならば成長は制約される。金本位制が「金の足かせ」で「不況レジーム」と言われるのはこのためである。

「金」と「有価証券」どちらが有利か?

では金は個人投資家の投資対象としてどうだろうか?

金と有価証券の違いは、金は紙幣や有価証券のように紙くずにはならないということである。国家が侵略され政権や通貨制度が頻繁に代わるような状況下ではこれは大事なことである。したがって、相場には「有事の金」という言葉があり、有事の際には金が買われる。

しかしその一方で、金は株式のような企業自身の成長による値上がりや配当金がなく、債券のような利息収入もない。稼がない資産と言っても良いだろう。短期投資をする場合ならば、常に株式が有利というわけではないが、長期投資では歴史的に株式のほうが有利である

下のグラフは1989年末を100として、米国の株式リターン、米国の株式配当込みリターン、金価格の3つを指数化したものである。配当収入にかかる税率は無視してある。

リーマン・ショックがあった2000年代、S&P500株価指数は一時的に大きく下落する場面があるが、金価格は上昇しつづけて大勝ちする(編集部注:2000~2009年までの上昇率はS&Pがマイナスに対し、金は約300%のプラス)。

しかしその後はどうだろう。金への投資は一本勝負ではなく、株式と異なる収益特性をもつ資産として、投資ポートフォリオ全体の一部として考えるべきだろう。

カエル先生の一言

参考文献はこちら。
ピーター・L・バーンスタイン(著), 鈴木 主税(翻訳)『ゴールド ― 金と人間の文明史』(日本経済新聞出版)
大蔵省百年史編集室編『大蔵省百年史』(大蔵財務協会)
板谷敏彦著『金融の世界史(新潮選書)』(新潮社)