金融の歴史をひも解く当連載。私たちの生活と切っても切り離せない金融の歴史を学ぶことは、21世紀の私たちに生きるヒントを与えてくれます。
第2回は、明治時代に先進国で普及していた通貨制度「金本位制」のお話です。この制度のおかげで各国は外国からお金を借りやすくなり、設備投資が活発化し、人類の生活水準は飛躍的に向上していきました。蒸気船や電灯などが登場したのもこの時期です。しかし一方で、戦争のきっかけの一つにもなります。通貨制度がどのように発展と戦争をもたらしたのでしょうかーー。
第1回「『金のコイン』から『紙のお金』へ」を読む
為替リスクからの解放! 明治政府が憧れた通貨制度
金本位制とは、金を「お金」の価値の基準とする制度です。日本銀行などの中央銀行が、発行した紙幣と相応の金を保管しておき、いつでも紙幣を金と交換することを保証します。
19世紀後半、英国、米国、欧州の主要国に続いて日本も金本位制を採用すると、各国の為替は金の価値を通じて変動しなくなりました。通貨の名前や単位は違っていても、採用国の通貨はいつでも金と交換できるからです。当時金本位制を採用することは先進国として認められること。「承認の印章」とも呼ばれたので、開国の時に締結した不平等条約に悩まされていた日本としては、早く先進国として認められ、対等の立場に立ちたいと願ったのです。
当時の為替水準は、おおよそ1ポンド=10円、1ドル=2円で固定していました。商人にすれば為替リスクから解放されるので、貿易は盛んになりました。
国家予算超え! 日露戦争の戦費も調達可能に
金本位制採用の利点はもう一つあります。外国からお金を借りやすいということです。金本位制の元では通貨の発行量は所有する金の量によって制限されるので、政府の都合で勝手にお札をどんどん印刷することはできません。したがって財政政策は借金の少ない抑制された規律のあるものとなります。当時、金本位制を採用している国は無駄使いをしないことから信用を得ており、他国からはお金を貸しやすいと考えられていました。そのために、財政状態によって国ごとの国債利回りには差がありました。一番信用があった英国が一番低く、国債は信用に応じて値付けされていました。
日本が金本位制を採用したのが1897年、実は同じ年に当時のロシア帝国も金本位制を採用しています。そして両国は1904年から日露戦争を始めます。当時、戦争をするには国家予算を超える戦費が必要とされていました。そのため、外国債券を発行して海外の投資家から戦費を調達する必要がありました。日本は英米から、ロシアは仏独から、軍資金を調達して戦いました。
蒸気船に電灯! 世界にイノベーションをもたらす
各国が金本位制を採用したのは、ちょうど大きなイノベーションが起きた時期でもありました。蒸気機関による鉄道や船に、内燃機関による自動車、電灯や電信、モーターなどが発明され、人の移動も物流も情報も国境を越えて盛んになりました。製鉄、造船、鉄道建設や電線敷設などのイノベーションを整えるための設備投資にはお金がかかるため、外国から資金を借りやすい環境かどうかが大きく影響します。日本で初めて作られた鉄道(新橋―横浜間)は英国の銀行団からの資金調達で建設され、発電所を建設する電力債も海外で募集されました。19世紀中頃から20世紀の初頭にかけてのこうした時期は、第一次グローバリゼーションと呼ばれています。
『21世紀の資本』みすず書房、トマ・ピケティ
『日本人のための第一次世界大戦史』角川ソフィア文庫、板谷敏彦
帆船の時代には、世界一周は何年もかかる大冒険でした。しかし、1870年頃に太平洋や大西洋を横断する蒸気船による定期船や大陸を横断する鉄道が完成すると、80日程度で可能になりました。また電線が敷設され、世界中に電報網が構築されると、その日のうちに情報が世界を駆け巡るようになりました。すると世界の証券市場も繋がり、世界経済の一体化が進みます。グローバリゼーションとは、グローブ(地球)の一体化です。
当時、「陽が沈まない国」と言われたイギリス
当時、資本市場の中心は英国で、覇権通貨は英国ポンドでした。英国は多くの植民地を持ち、エジプトや南アフリカからインド、シンガポールに香港、オーストラリア、カナダを支配し、「陽が沈まない国」と呼ばれました。この英国によって作られた第一次グローバリゼーションの平和な時代を、パクス・ブリタニカと呼びます。
この「パクス」という言葉は平和の女神の名前です。例えばローマ時代はパクス・ロマーナ、イスラム教が栄えた中世にはパクス・イスラミカ、米国が支配的な現在はパクス・アメリカーナと呼ばれています。ちなみに、日本がバブルだった80年代後半、あまりに羽振りが良かったので日本がお金で世界を支配するのではないか、と「パクス・ジャポニカ」の時代到来が欧米で懸念されたこともありました。ご存じのように、これは泡のように消えました。今後は中国が世界を支配するパクス・シニカの到来が予想されています。でも、そう簡単でないことはバブル世代の日本人が一番よく知っています。
グローバリゼーションで「一つになった世界」と「二分された国内」
話が飛躍しましたが、グローバリゼーションの進化は世界を一つにします。ですがその一方で国内を二分するとも言われます。これは国内格差が広がるという意味です。
例えば英国を例に挙げると、機械や鉄鋼、造船など当時の英国の高度な技術を必要とする先端産業は各国に製品を輸出できましたが、その代わりに農業や繊維製品などは安い外国製品に席巻されてしまいました。それで職を失う人が大勢出てくると、成功した産業と没落した産業の間で貧富の格差が広がり、それは政治や安価な製品を製造する外国に対する不満へと発展していきます。こうして政治家が国民の不満のはけ口を領土問題など外交に求めた時、往々にして戦争が始まります。
通貨の主役は「英国ポンド」から「米ドル」へ
第一次グローバリゼーションは、1914年から始まった第一次世界大戦で終わりを迎えます。そしてこの戦争ではそれまで戦費の貸し手であった英国やフランスが、戦争の当事者になってしまいました。貸し手がいなくなった以上、所有している金の量で発行できる貨幣の量が制限される金本位制では巨額の戦費を賄(まかな)えません。そこで各国は、開戦に際して金本位制を停止したのです。
世界の富が集中していた英国は、フランスやイタリアなど連合国側の債券を購入することで金を貸しました。しかし自身も資金不足になって、当時まだ参戦していなかった米国に外債を買ってもらうことになりました。米国は戦争末期に参戦しますが、戦地から離れていたので輸出で大儲けして、世界中の金が集まります。日本へも同様に世界の金が集まりました。英国ポンドは金の裏付けが無くなり弱体化して、世界の覇権はパクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナへと移行が進みました。
「到底払えない」ドイツが背負った巨額の賠償金
第一次世界大戦が終わると、講和条件を討議するパリ講和会議が開催され、戦勝国は敗戦国であるドイツに巨額の賠償金を要求しました。
しかし、英国の経済学者であるケインズは、ドイツに巨額の賠償金を負わせても結局は払えないことを主張しました。なぜなら、ドイツが英国やフランスに賠償金を支払うためには、ドイツは貿易を盛んにして貿易黒字を貯めて(金を集めて)支払うほかありません。ということは、貿易戦争でドイツが一方的に勝つことになるから、英国やフランスはそんな状態を許すわけはないーーしたがってドイツが賠償金を返せる合理的な根拠はない、というロジックでした。
わかりやすいロジックですが、英国やフランスの国民は当時、ドイツに対して怒っています。ですから英国やフランスの政治家は、国民に対する人気取りで「ドイツが巨額の賠償金を払えない」というロジックを無視しました。ケインズは怒ってパリ講和会議から勝手に帰国してしまいます。そして、結局ドイツは巨額の賠償金を背負うことになります。
しかし、ケインズが指摘した通り、ドイツには賠償金を支払える合理的な根拠がない。ドイツ国民は苦しむだけです。そこにヒトラーが登場して「ドイツはもう賠償金を払わない」と宣言したのです。
この頃、日本も含めて各国は戦前の繁栄の時代の再現を夢見て金本位制を復活させようと努力しましたが、その都度ドイツの賠償問題が出てきて、結局うまくいきませんでした。
第二次世界大戦のはじまりは、米国バブルの崩壊から
そして1929年には米国でバブルが破裂し、大恐慌が発生して不景気は世界全体に広がっていきます。グローバリゼーションで恩恵を受けたはずの英国も、英国連邦の諸国や植民地の間だけで経済圏を作り、ドイツや日本などを排斥します。こうなると世界は自活のためにそれぞれの経済圏を確保しようと動きます。ドイツは自身の経済圏を東欧やソ連方面に求め、日本は中国大陸を目指しました。もはやこれは貨幣を使った貿易ではなく略奪でしかありませんでした。このような背景の中、第二次世界大戦が勃発しました。
グローバリゼーションをもたらした金本位制、また自由な資本の移動はイノベーションをもたらし人類の生活は格段に向上しました。しかしその一方で各国の国内では格差が生じ、政治家は国民の不満のはけ口を外交問題に向けました。グローバリゼーションは、争いの種も宿していたのです。
また、通貨の量が貴金属である金の量に制約を受ける金本位制では、グローバリゼーションやイノベーションによって急速に拡大する経済規模に追いつけなくなっていたのかもしれません。
第二次世界大戦はそれまでの世界の通貨システムを破壊してしまいます。この結果、根本から作り直す必要が生じることとなりました。次回は戦後の通貨制度についてお話しします。