金融の歴史をひも解く本連載。私たちの生活と切っても切り離せない金融の歴史を学ぶことは、21世紀の私たちに生きるヒントを与えてくれます。
第3回は、米ドルが覇権通貨になるきっかけとなった「金・ドル本位制」から、現代にいたるまでのお話です。第二次世界大戦後、1ドル=360円に固定された日本円。円安であることから貿易(輸出)に有利でしたが、アメリカに翻弄され、今の変動相場制になりました。最近では米ドルに代わる通貨として、中国元が存在感を増しています。終戦から現代までの、通貨の歴史をひも解きます。
第2回「鉄道、電灯…戦費の調達さえ可能にした金本位制」を読む
「英ポンド・金」から「米ドル」へ
1945年に第二次世界大戦が終わりました。本土が戦場にならなかった主要国は米国のみ。参戦したそのほかの国々は、生産設備が破壊されてモノが作れなくなりました。多くの国は貿易通貨である金(きん)も失い、金すなわち世界の富は米国に集中しました。
米国はその金を元手に、戦後の国際金融システムを再構築します。当時機械や医療品、食料など各国が欲しいモノを生産できるのは米国だけです。どの国も金を持たない以上、商品を購入するために米ドルを欲しました。こうして、世界は米国主導の新しい通貨体制を必要としていました。この戦後の国際通貨体制を決める会議が米国ニューハンプシャー州のリゾート地、ブレトンウッズで開催されたことから、アメリカのドルを基軸とした固定為替相場制を「ブレトンウッズ体制」と呼びます。金を持っているのは米国だけなので、米国が会議の主導権を握りました。
基本的には、戦前の金を国際決済手段とする金本位制への回帰ですが、過去と異なる点は、各国通貨と米ドルの交換比率だけを固定して、米ドルだけが金との交換比率を1オンス35ドルに固定する点でした。これを「金・ドル本位制」とも呼びます。ブレトンウッズ体制の制定後、国際間の決済は戦前のような英ポンドや金ではなく、米ドルで行われるようになりました。これが覇権通貨ドルの起点です。
1米ドル=360円に固定。日本の貿易は有利に
戦前に1米ドル2円だった日本円は、この時1米ドル360円に固定されました(1949年~1971年)。
同時期には、現在も続く、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)、国際貿易機構などの国際機関が設立されました。これ以降主要国の政府や中央銀行は、通貨や金融の安定のために共通の金融規制作りやマクロ政策協調に力を注ぐようになります。
一方で、第二次世界大戦後、世界経済は米国を中心とする資本主義社会とソ連を中心とする共産主義社会の二つに分かれ、両者は軍事的に対立することになりました。「冷戦」と呼ばれるもので、1989年のベルリンの壁崩壊まで続きます。
その後、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、オイルショック等を経て米ドルを増発します。また、戦後の経済成長に伴って各国の貨幣の量も増えていき、各国通貨水準のドルに対する相対的地位も変化しました。例えば1米ドル360円の水準は、当初は日本の経済力を過大評価(円高)していましたが、日本が戦後復興を果たした70年代に入ると過小評価(円安)となり、日米貿易に際して1米ドル=360円の為替は日本の貿易に有利に働きました。この結果、米国は日本に対して貿易赤字が累積します。
米国からは「日本は国力が強くなったのに、いつまでも同じ為替ではやっていられない」と不平が出るようになります。
円高進行! 360円から75円台まで
1971年8月15日、貿易赤字とそれに伴う金の流出に苦しめられた米国のニクソン大統領は、ドルと金の兌換(交換)を停止すると発表しました。これがブレトンウッズ体制の崩壊、ニクソン・ショックです。
当時ウォール街では、これは単なるドル安政策として捉えられ、米国の株式市場などは一時的に暴騰しました。しかし長期的な観点では、世界の通貨がいよいよ金から離れて、不安定な変動相場制へ移行していく起点となったのです。
世界の通貨から、金の価値に固定された米ドルという基準がなくなったので、各国は自分たちで通貨の価値を管理せざるをえなくなりました。通貨の発行量を通貨当局が調節することで、物価の安定、経済成長、雇用の改善、国際収支の安定などを図ることになります。これを「管理通貨制度」とよびます。この結果、円は過小評価されていたので、円高にぶれます。
ニクソン・ショック後、為替の変動は止まりませんでした。再度どこかの水準で為替を固定しようと、年末にはスミソニアン博物館で主要国の会合がもたれます。ここで日本円は1ドル308円と決められます。しかしそれでも米ドルは為替の水準を維持できず、1973年2月以降の為替レートは市場で自由に決められることになったのです(変動相場制)。
ドル円はしばらく200円台で推移していましたが、2011年10月には、75円台をつけました。その後は円安基調となり現在にまで至っています。
米ドルの次は「中国元」が覇権通貨に?
80年代に入ると、中国共産党が改革開放政策をとるようになり、長く続いた冷戦も1989年11月9日のベルリンの壁崩壊によって終わり、再び世界の交流は盛んになりました。ドルやユーロ、英ポンド、円などの主要通貨の中で、中国の元が台頭してきます。
ジャンボジェットのような大量に人やモノを運べる効率的な旅客機が航空運賃を下げ、コンテナによる輸送システムは海上運賃を安くしました。またインターネットは国際間の通信コストを劇的に下げ、国境の概念を低くしました。これがCOVID‑19発生前まで続いていた第二次グローバリゼーションです。
第二次グローバリゼーションでは、中国の経済成長が顕著になります。
ここまで通貨の歴史を振り返ってきました。これまで世界の覇権通貨は金本位制時代の英国ポンド、ブレトンウッズ体制以降の米ドルへと遷移してきました。そんななか中国は「中国の夢」として「中華民族の偉大なる復興」を掲げています。偉大なる復興に「人民元の覇権通貨化」も含まれるのかもしれません。しかしそれには世界中の人たちが欲しいと思うモノやサービスを中国が提供し、元で金を借り、元で決済をするようになることが不可欠と考えます。ただし、現在のような中国の強権的な政治体制では、外国人は安心して元を持てません。まだ少し先のことになるでしょう。
時代とともに移り行く、貨幣の価値基準
第1話では、金や銀など、皆が価値があると認めたものがいつしか貨幣となったとする説(貨幣商品説)や、昔の中国のように王や政府といった権威が「これを貨幣とする」と決めたという説(貨幣法制説)などがあり、第2話では、金を価値の基準とする制度(金本位制)について紹介しました。
第3話でお話しした通り、第二次世界大戦以降にて貨幣の価値の基準となったのは「米ドル」です。しかし、アメリカの貿易赤字をきっかけに、価値の裏付けとなるものが固定されない、現代の「変動相場制度」になっていきました。
貨幣は時代とともに変わってきたし、これからも変わっていきます。
次回は、今までの貨幣制度にあてはまらない不思議な貨幣が昔からあって、なんとそれが先進的な電子マネーによく似ているというお話をします。