第5回 Facebookの挑戦と挫折 新時代の通貨

金融の歴史から学ぶ、今を生きるヒント/ 板谷 敏彦井上 元太

金融の歴史をひも解く本連載。私たちの生活と切っても切り離せない金融の歴史を学ぶことは、21世紀の私たちに生きるヒントを与えてくれます。

第5話は、世界中で使える通貨を作ろうとした米国Facebook社(現Meta社)のお話です。創業者のマーク・ザッカーバーグは、国境を越えて送ることができるメッセージと同様に、通貨も低コストで世界中に送金できると考えました。Facebook社が公表したデジタル通貨「リブラ」の構想はどのようなものだったのかーはじまりから終焉までをひも解きます。
第4回「『暗号資産』にも通じる!? ヤップ島の石貨」を読む

銀行口座を持てない人を救え

2019年6月、米国Facebook社は全く新しいデジタル通貨「リブラ」の構想を発表しました。リブラとは、世界中で使える暗号資産のことです。このプロジェクトの狙いは「数十億人の人に単純な通貨と金融インフラを提供することである」とザッカーバーグは意気揚々と公表しました。

世界で銀行口座を持てない人は17億人存在します。銀行の支店が各地に展開されている先進国でさえ、口座を開設できない貧困層がいます。また、新興国ではそもそも銀行の支店網といった金融のインフラが整っていないケースが大半です。

先進国に出稼ぎに出ている新興国の人が本国に送金する場合、そもそも銀行口座がないので、送金業者を使うことになります。そのようなケースでは、送金金額の7%ぐらいの手数料がかかると言われています。

その一方で、新興国では固定電話網が十分に普及しないうちに、電線敷設がいらない携帯電話が先に普及したという経緯があります。中国が携帯電話を使ったアリペイやウィチャットペイなど決済アプリで先行しているというのも、こうした事情があったからだと言われています。新興国の人々は電話よりも先に携帯電話を所有したのです。

銀行口座を持てない世界の17億人のうち10億人が携帯電話を持ち、5億人はインターネットが利用できる環境にある。

であるならば、

お金(通貨)も携帯電話の画面の数字、しょせんは電子の情報なのだから、メッセージのように送金できるのではないのか? これなら手数料は安くすむだろうーー。

ザッカーバーグが考えた新しいデジタル通貨「リブラ」の利他的で壮大な構想のはじまりでした。

よく練られた「リブラ」の仕様。暗号資産の「価格変動リスク」抑制

ザッカーバーグは新しい通貨の社会的意義として、この構想の目的が困っている人達を救済する「Financial Inclusion(金融包摂)」であると強調しました。金融システムの外に置かれた人々を内に取り込もうというのです。「ザッカーバーグは人々の救済よりも単に新しいビジネスを考えていたのではないか」と疑う人もいますが、救済される人々にすれば同じことです。

リブラの仕様は、最新の金融とテクノロジーの知見を使って、よく練られていました。

ビットコインなどの暗号資産との違いは、リブラにはまるで金本位制のように、通貨の裏付けとなる資産が準備されていたことです。

米ドル、ユーロ、英ポンド、日本円、シンガポールドルなどの主要通貨を買い集めた通貨バスケット(※)が、Facebook社から独立したスイスの会社で管理されます。誰かがリブラをドルで買いにきたら、リブラを渡し、その受け取ったドルで通貨バスケットを買って保存します。リブラの発行量は通貨バスケットの量によって管理されることになります。

※通貨バスケット…あらかじめ各通貨の比率を決めて複数通貨に投資するまとめ買いのツール。

取引には暗号資産で使うブロックチェーン技術が使用されるため、悪意の第三者は介入できず、取引記録の透明性と公共性は技術的に保証されます。

したがってリブラの価格変動はその他の暗号資産とは異なり、非常に安定したものになります。こうした価値が安定するような仕組みを持つ暗号資産を「ステーブル・コイン」と呼びます。

良いことづくめ!? 世界的企業28社が賛同

Facebook子会社のカリブラ社で電子ウォレットを作れば、リブラを使うことによって低コストで国境を越えて、まるでメッセージのようにお金のやり取りができるようになります。リブラはどの国の中央銀行からも規制を受けたりはしません。

貧しい人を救う理念、最新技術による全く新しく効率的な通貨システムーーこの企画は良いことずくめのようでした。このプロジェクトに賛同する会社には、クレジット・カードのVisa、Mastercard(マスターカード)、PayPal(ペイパル)、eBay、Uber(ウーバーテクノロジー)といったそうそうたる世界的企業28社が並んでいました。Facebook社のユーザーは当時世界に27億人もいたため、「Amazonも楽天も通販の商品はみなリブラ建てで表記され、世界中どこからでも買えるようになるのではないか」と期待され、金融市場における大革命に見えました。

「Facebook帝国」の誕生?

ところが、この計画が発表されると、Facebook社は米国議会、各国中央銀行、既存の金融業界、メディアからの懸念と、それに伴う非難の嵐にさらされました。「これではまるで国境を越えたFacebook帝国の誕生みたいじゃないか」と思われたのです。それにFacebook社はこの時、個人データの大量流出事件を起こしたばかりでした。具体的には、下記のような意見が挙げられました。

・Facebook社はプライバシー保護の観点から信頼に足るのか?
・27億人を擁する巨大プラットフォーム企業が金融も支配してしまうのではないか?
・マネーロンダリングが横行するのではないか?
・マネーや金利を使って金融を引き締めたり、緩めたりする中央銀行の金融調整機能に影響が出るのではないか?
・中小の国の不安定な通貨は駆逐されてしまうのではないか?

他にも、複数の通貨を組み入れた通貨バスケットは投資信託なのでは? であれば投資信託の規則にしたがうべきではないのか? であればどの国の規則だ? など、テクニカルな法規制上の問題点も数多く指摘されました。

これらの意見をまとめると、リブラが大規模になり、国内での決済が大量にリブラで行われるようになった場合、その国が持つ通貨主権(通貨に関しては各国が独自に決定する権利がある)と金融政策の自由度を阻害する可能性があります。それが一番の問題だったのです。

リブラ計画の発表から4ヵ月経った2019年10月、まずはペイパルがリブラ計画から離脱、続いて、Visaやマスターカードも降りてしまいました。各国規制当局から指摘された法規制上の問題をクリアする見通しが立たなかったことが理由であったようです。

袋だたきにあったリブラ計画の末路

こうして、リブラ計画は各方面から袋だたきにあって縮小していきます。

2020年4月、リブラは「リブラ2.0」を発表しました。各国の金融主権に配慮して、通貨バスケット案を縮小し、各国通貨に準じたリブラUSD、リブラEUROなどのステーブル・コインを発行することにしました。通貨バスケットに変えて各個別通貨ごとに大量かつすぐに売買が可能な短期債券を購入し、それをベースにリブラを発行するというアイデアです。新興国の人間にすれば、リブラUSDでも随分便利になるし、金融包摂への道は開けます。

しかしながら、これでも各政府や当局との調整は進展せず、この年の12月にはリブラは通貨名を「ディエム」に変えてしまいます。リブラとは公平さを表わす天秤座のことですが、昔のローマ帝国の覇権通貨の名前でもありました。どうもFacebookの野心のみが強調されてしまうイメージだったと反省したのでしょう。ディエムはラテン語のday、とても無難な名前になりました。

そしてコロナ禍の中、Facebook社はMeta社に名前を変えて、2022年1月31日、リブラ協会の後を継いだディエム協会は、米国金融当局との話し合いがつかないことから、とうとう資産を他社に売却することを決めました。これでリブラ計画は一度も陽の目を見ることなく完全に終了してしまいました。

Facebook社は、各国政府になりかわって、とても合理的な世界通貨であるリブラを発行しようとしました。しかし、各国政府にとって、金融(通貨)主権はザッカーバーグが考えていたよりも大事なものでした。リブラ計画が終焉をむかえてすぐ後に、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまりました。西側各国はロシアに対して金融制裁に入りました。ロシア・ルーブルを封じ込めたのです。今ではどの国も金融主権に対して敏感になっていると思います。

それでもザッカーバーグが金融の世界に投げかけたものはとても大きいものでした。

世界の中央銀行は、通貨をこのままテクノロジーの進化に見合わないまま不便な状態に放置しておくと、他のもっと便利な通貨が登場して自分たちの通貨主権がおびやかされるかもしれないと考え始めました。次回はその話をいたしましょう。

次回は3/13(月)配信予定です。