第6回 法定通貨もDX? 中央銀行が発行するデジタル通貨

金融の歴史から学ぶ、今を生きるヒント/ 板谷 敏彦井上 元太

金融の歴史をひも解く本連載。私たちの生活と切っても切り離せない金融の歴史を学ぶことは、21世紀の私たちに生きるヒントを与えてくれます。

第6話は、Facebookが考案した暗号資産「リブラ」から刺激を受けた、CBDC(中央銀行デジタル通貨)の話です。「リブラ」によって危機感を感じた国は、法定通貨のデジタル化を進めていきます。CBDCがもたらす世界とは何なのかーー各国の取り組みをひも解きます。
第5回「Facebookの挑戦と挫折 新時代の通貨」を読む

「リブラ」から刺激を受けた、法定デジタル通貨

前回の第5話は2019年当時にFacebook社が計画した暗号資産「リブラ」の話でした。彼らに言わせると、もしリブラが成功していれば、世の中の取引や送金コストは格段に安価になり、世界中の銀行口座を持てない多くの人を幸福にできたはずでした。

しかし通貨の性質を持ったリブラは、各国の法規制を潜り抜け、マネーロンダリングなどの経済犯罪を助長する可能性がありました。また、資金の流れを含む個人のプライバシーが、一民間企業に集中する不安もありました。

それに加えて各国の金融(通貨)主権を脅かす可能性があることから、主要各国政府から認められることなく挫折することになったのです。

それでも、リブラが世界に投げかけた波紋はとても大きいものでした。通貨システムを強固に守るために、本来は保守的なはずの各国の中央銀行が、暗号資産という新しい技術に対して敏感に反応したからです。

「このまま何もしないでいると、現在の通貨は新しいデジタル通貨に駆逐されるかもしれない。それはリブラのような新しい通貨かもしれないし、デジタル米ドルや人民元といった進化した他国の通貨かもしれない」、各国の中央銀行はそう考えました。

これに対抗するためには、決済市場の効率化を促し、各種取引コストの削減や、お金の流れの透明性を向上させる必要がある。国によっては「Financial Inclusion(金融包摂)」だって考えなければならない。これはつまり各国の中央銀行も「リブラ」のようなデジタル通貨を準備しなければならないということでした。

こうした中央銀行が発行する法定のデジタル通貨をCBDC(Central Bank Digital Currency)と呼びます。

CBDC(中央銀行デジタル通貨)とは

ではCBDCとは具体的にどのようなものなのでしょうか。日本銀行HPによると、次の3つを満たすものであると言われています。

(1)デジタル化されていること
(2)円などの法定通貨建てであること
(3)中央銀行の債務として発行されること

また、2023年1月18日のウォールストリートジャーナルのクリストファー・ミムズによるコラム「中銀デジタル通貨の到来、各国の備えは十分か」では、CBDCを2つのタイプに分けています。

1つ目は「大口取引型」と呼ばれる中央銀行と商業銀行との間の取引に限定されたもの。あくまで金融機関同士の資金移動を効率化するもので、これは現在ニューヨーク連銀や米国大手金融機関が実験中です。効率化は促進されますが、企業や個人に関係する既存の金融システムに大きく影響を及ぼすものではありません。

2つ目は「一般利用型」で企業や個人が直接かかわる形です。CBDCの普及がテーマになる場合、通常こちらのタイプを想定します。成熟した先進国においては、CBDCは既存の銀行システムを使う、現金のデジタル化として想定されています。

つまり、現在の中央銀行券と同じように中央銀行がCBDCを発行し、市中銀行(都銀や地銀、その他金融機関)は中央銀行当座預金を引き出すことによってCBDCを入手する。企業や個人は市中銀行の預金口座からそれぞれが持つCBDC用のウォレット(電子財布)に必要金額を引き出す。そうして店舗や他人のウォレットとの間で決済をする。

紙幣や硬貨の物理的な受け渡しの代わりにCBDCを入出金させるやり方です。

現行の口座振替と同じじゃないかと思うかもしれませんが、CBDCのデータが現金のようにウォレット間を移転していく点が異なります。あくまで現金での決済がその場で完結してしまう。これは現金が持つ特質で、決済完了性と呼ばれます。

またCBDCは発行体にすれば貨幣や紙幣のように物理的な発行コストがかかりませんし、ユーザーにすれば透明性が高く不正に巻き込まれにくいメリットがあります。

114ヵ国が関心を寄せる、法定デジタル通貨

世界のCBDCの動向を追いかけている米国のシンクタンク太平洋協議会(Atlantic Council)の集計によると、2020年5月時点でCBDCを検討していたのは35ヵ国のみでした。

しかし、2023年2月14日現在では、追跡している119ヵ国のうちの114ヵ国が検討しており、60ヵ国が検討以上(開発、実用実験、実施)の段階にあります

そのうちジャマイカなどの11ヵ国はCBDCを完全に開始し、オーストリア、タイ、ブラジル、インド、韓国、ロシアなどは2023年に実用実験の継続または開始を予定しているそうです。

G7諸国も開発段階に移行しており、欧州中央銀行(ECB)も2023年の秋には実現フェーズの開始について判断する予定で、CBDCの開発は加速しているところです。リブラ構想に刺激されて、各国通貨のデジタル化は一気に加速したといえるでしょう。

それでは、主要国がどう反応したのかを見ていきましょう。

いち早く人民元をデジタル化した中国

リブラに一番大きく反応し、いち早く法定通貨である人民元のデジタル化に着手したのが中国人民銀行(中国の中央銀行)でした。

中国では、固定電話網が全国に行き届く前に、国民に携帯電話が普及しました。そのおかげで、アリペイやウィチャットペイなど、携帯やスマホを使った決済アプリが進化しました。また中国政府は、様々な分野においてハイテク志向が鮮明です。中国は早くからデジタル通貨を研究していました。そこへきてのリブラでした。

中国はデジタル通貨をよく知るがゆえに、当初リブラが発表した通貨バスケットの半分以上が米ドルであったことに反応しました。「覇権通貨の米ドルが今後も世界を支配する状況が続いて、やがて中国にも浸食してくるのではないか」と、攻撃というよりもむしろ人民元の防衛を目的としてデジタル化を急いだのだと思います。

中国は現金のデジタル化を進めています。深圳市などでCBDCを使った個人向けの電子決済の実証実験を行い、2022年の北京冬季オリンピックを前に、海南省、上海市、湖南省長沙市、陝西省西安市、山東省青島市、遼寧省大連市の6省市と、北京市などに実験エリアを拡大させました。

オリンピックが終わった後も、実証実験対象地域を拡大し続けています。また2021年の9月には、「デジタル人民元」の脅威となりうる民間の暗号資産そのものを、投機的なものとして全面的に禁止しました。

欧米諸国は、中国が掲げる「一帯一路」構想などを通じた「デジタル人民元」の国際的な決済通貨としての普及を警戒しています。しかしながら、小口決済ならばともかく、現在の強権的な政府に資産状況やお金の流れを把握されることを良しとする資金は、世界にそれほど多くないでしょう。

皮肉なことに、政府が統制を強めて強権的になればなるほど、人民元の覇権通貨への道は遠のくではないかと考えています。

2023年秋には、デジタルユーロの実現開始を判断

欧州中央銀行(ECB)は、2021年10月にCBDCである「デジタルユーロ」の取り組みを正式にスタートしました。すでに本格的導入に向けた調査フェーズに入っており、2023年秋に調査フェーズの結果をレビューし、実現フェーズの開始について判断することになります

デジタル通貨には、やや消極的な米国

すでに支配的な覇権通貨であるドルを持つ米国は、本来新しい通貨システムの導入には一番消極的なはずです。それでも中央銀行に相当する連邦準備理事会(FRB)では2020年8月にCBDCの研究開発を開始し、ボストン連銀とマサチューセッツ工科大学(MIT)はCBDCの共同開発プロジェクト「Project Hamilton」をスタートしています。

2022年1月に米連邦準備制度理事会(FRB)は、CBDCに関する報告書を発表し、3月にはバイデン米大統領がCBDCを含むデジタル資産の研究開発にまつわる大統領令に署名しました。

そして同年9月にはそれらをまとめる形でホワイトハウスから報告書「米国CBDCに対する技術評価」が発表されています。

そこにはCBDCの詳細な分析があり、対中国を意識した通貨覇権に関する地政学的な懸念は書かれているものの、早急な現金のデジタル化に対して積極的なものではありません。

日本銀行は「しっかり準備」のスタンス

日本銀行は2023年2月17日に「中央銀行デジタル通貨に関する日本銀行の取り組み」を発表しました。この中にCBDCに対する「日本銀行の基本的な考え方」がありますが、それによると現時点でCBDCを発行する計画はないとする一方で、準備だけはしておくとして実証実験と制度設計面の検討を進めていくそうです。ただし、具体的なロードマップは示されていません。

一般社団法人キャッシュレス推進協議会は2022年6月に「キャッシュレス・ロードマップ2022」を発表していますが、その中に主要国におけるキャッシュレス決済比率(2020年)のデータがあります。

それによると韓国93.6%、中国83.0%、オーストラリア67.7%、英国63.9%、米国55.8%、フランス47.8%、日本29.8%と日本の現金依存度が高いことがわかります。

なお、日本の下にはドイツ21.3%もあり、これには治安やATMの普及度合いといった様々な要因が関係しているのだと思います。しかし今後は現金のデジタル化によってお金の流れを効率化していく必要はあるでしょう。ATMが多い国というのは今や自慢になるものではありません。

各個人がCBDCのウォレットを持つようになると、例えば現在デジタルマネーとして使われているPayPayやSuicaはなくなるでしょうか? それはまだわかりません。

こうしたマネーにはポイント付与の特典などがありますし、鉄道の改札がCBDC、すなわちデジタル円を読み込むようになっても、当初はSuicaの精算をCBDCで行うだけかもしれません。人間は、知らないことや経験したことがないことを受け入れたくないという「現状維持バイアス」がありますから、少々のメリットではなかなか行動を変えられないものです。

途上国や貧富の格差が大きい先進国には銀行口座を持てない問題がありますが、一方で高齢化した日本ではデジタルデバイド(情報格差)の問題もあります。

Suicaやスマホを使えない高齢者がいます。トップダウンで決まる強権的な国家では制度の変更は容易ですが、日本ではCBDCの開発は早急に、かつ政治的に慎重に進めなければならない事情があるのだと思います。

お金の歴史は金銀などの貴金属のように、それ自体に価値があるものから始まりました。そしていつでも金と交換が可能な紙幣の時代(金本位制)を経て、今や金の裏付けがない管理通貨制度に至っています。また、我々の日常生活においては、硬貨や紙幣に代わって物理的な形がない中央銀行が発行するデジタル通貨が普及しようとしています。

お金とは何であるのか、一番大事なことは皆が価値があるものだと共通認識を持つことです。粗雑に扱うと、一気に価値を喪失する危険をはらみます。

お金の歴史と現在の形についての話はこれで終わりです。

※本稿は、各種情報をもとに筆者がCBDCについての見解を述べたものです。