47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです。
第33回は熊本県。地震で倒壊した熊本城の再建は今も続いています。その熊本城の再建プロジェクト、じつは昭和30年ごろにもあったそう。その時、市民寄付分を相場の儲けで、すべて支払ったという1人の相場師が。その心意気にしびれます。
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地震を発生させる「別府-島原地溝帯」
これまでこの連載では西日本を東西に分断する中央構造線を紹介してきた(第16回愛媛県や第22回大分県、第26回奈良県、第28回三重県)。
その中央構造線は、九州地方では別府付近に至り、九州中部を東西に横断する別府-島原地溝帯となる。この地溝帯は現在も南北に拡大を続けていて、時折地震を発生させる。
中央構造線の断層が瀬戸内海を作ったように、本来であれば九州はこの地溝帯により、海を挟んで南北に二分されるところだった。ところが地溝帯にある阿蘇山などの火山活動と土地の隆起によって陸地となり、現在の熊本市を中心とする熊本平野が形成されたと考えられている。
※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。
熊本地震で倒壊した熊本城の修復はつづく
平成28(2016)年4月14日21時26分に震度7の熊本地震が発生した。その後2時間半の間に震度6の地震が2度、そして28時間後には再び震度7の地震が発生した。最初の地震から1年間の有感地震は4297回を記録し、これは1996年の震度計による観測開始後最多回数である。前後して群発した地震の震源分布は別府―島原地溝帯の中にあった。
地震の際、熊本のシンボル、熊本城の崩落した石垣や建築物の倒壊の様子は、テレビ中継やSNSによって国内はもとより広く世界中に拡散されたので、未だにわれわれの記憶にも新しいだろう。
地震で被害を受けた熊本城だが、天守閣の部分復旧はすでに完了しており、令和3年4月26日から天守閣内に博物館として展示されている城の歴史と、天守最上階からの眺めを楽しむことができる。
市の発表では、全体の修復完了は専門職人等の不足から2052年度になることが発表されている。しかし修復中でも、石垣など修理が進行するエリアに見学専用の歩道橋をしつらえて、修復過程そのものも観光スポットとして見学ができるよう工夫されている。
城づくりの名人と呼ばれる加藤清正が作った熊本城は、石垣の傾斜が次第に急角度となることで忍者も寄せ付けぬ、有名な「忍び返し」など、城の各所に工夫がこらしてあり見ごたえ充分である。
天守閣を見学をしていた私は、展示されていた一枚の資料パネルに興味を持った。
そこには、昭和30年代にも地元挙げての熊本城の再建プロジェクトがあり、財産の大半をなげうった地元証券会社の人がいたと書いてあった。美しい天守閣は昔からのものではなく、近代的な鉄筋コンクリート製だったのである。
「熊本城の天守閣は、ワシが相場で儲けて建てる!」
熊本城は1607年、戦国武将の加藤清正(1562~1611)によって造られた。その後改易(編集部注:大名や旗本の所領、家禄、屋敷の没収)となった加藤家の後に細川忠利(1586~1641)が入り、明治維新まで続いた。第79代内閣総理大臣・細川護熙氏は、首相になる以前は熊本県知事であり、細川家の末裔である。
明治10年の西南の役では北上する西郷隆盛率いる薩摩軍1万3000人を前に、陸軍の司令長官・谷干城(たにたてき)が兵3500人を率いて城を守りきり、西南戦争の帰趨(きすう)を決定づけることになった。しかし熊本城はこの時に天守閣を火災で失っている。
その後、戦前は陸軍が城を使用したために城は保全された。戦後は軍の解散とともに国有地化を経て、昭和26年には熊本市が新しい城主となった。ここから熊本城の本格的な改修工事が始まる。
西南の役で焼失した天守閣の復元計画は、昭和33年に決められた。鉄筋コンクリート製ながら、焼失以前に撮影された写真をもとに正確な再現が計画され、必要な工費は2億円と見積もられた。大卒初任給が8000円の時代である。熊本市では1億5000万円を地方債発行でまかない、残りの5000万円は市民の寄付に頼ることにした。
一般募金で市民6万5000戸に対して各戸100円で650万円、プラス県民27万戸に対して各戸50円で1350万円、これで合計2000万円。また特別寄付として銀行、生命保険、証券会社、建設業者、酒造会社、自動車会社、旅館・料亭などから1500万円を集め、あとは熊本商工会議所に1500万円を割り当てて獲得、などと少し楽観的な見通しが立てられた。当時は本当に集まるのか? と不安な意見も多かったそうである。
だが、その年の12月、地元新聞に「株屋さん5000万円ポンと寄付」という見出しが躍った。この株屋とは熊本証券金融会社のオーナーで、委託注文の取次というより、いわゆる相場師だった松崎吉次郎(まつざききちじろう・当時71歳)である。
「最初は全部1人で払うつもりだったが稼ぐ時間がない。しかし市民寄付分の5000万円は私が1人で払う」と市長に申し入れた。
松崎は熊本米穀取引所でならしたコメの相場師だったが、戦中戦後にかけての価格統制によりコメ相場が消滅したため、株式相場に乗り換えた。相場を張るモチベーションを維持するために目標を高く掲げたのだろう。奥方によると、昔から「熊本城の天守閣はワシが相場で儲けて建てる」と豪語していたようで、結局それがかなったわけだ。
松崎は工事の進捗に合わせて500万円ずつ10回ほど市長のところに寄付を届けた。その際に市長から「市で送迎するから是非市役所の黒塗りの車に乗ってくれ」と頼まれたが、「俺は電車が一番いい」と最後まで熊本の市電で通ったそうである。
最後の500万円を届けたところで株式市場が暴落。寄付と暴落で松崎は財産のほとんどを失ったそうだが、その後も福岡の取引所で大玉(大量の株式)を動かしていたという話も残っている。城の再建のために相場を張り、それを成し遂げた男。これもひとつの生き様であろう。ぜいたくには興味がなかったようだ。そんな松崎を偲びつつ熊本城を見学するのもよいだろう。
熊本のおすすめ観光スポット&グルメ
阿蘇カルデラ
熊本県は阿蘇山から天草諸島、人吉地区も含めて観光スポットが豊かだ。その中でも阿蘇カルデラは是非見ておきたい。大きさとしては北海道屈斜路湖カルデラに次ぐ国内2位であるものの、壮大さでは別物である。一生に一度見ておくべき風景である。
最高レベルのカツカレー
熊本市街の上通りにある「洋食の店 橋本」は、洋食部門で食べログ百名店にも選出されている。この店には、牛ヒレカツに土鍋でカレーが提供されるカツカレーがある。最高のビフカツに最上級のカレーの組み合わせ。値はそれなりに張るが(4600円。2022年12月時点)、食すればその美味さに、むしろ割安にさえ感じることだろう。
ショットバーの街
熊本のバーテンダー有志で組織する「クマモト バー ソサエティ」ではバーマップを製作している。2022年12月発行のマップでは熊本市内に純粋なショットバーだけで52軒ある。これは人口比で見ても数が多い。熊本は洋酒を楽しむ文化が根づいているのだろう。
私が知人の紹介で訪れたのが、「Whisky CAT」。カウンター越しのバックバーにはスコッチ・ウィスキーが充実。ベテランバーマンの佃さんは親切で親しみやすい。観光に関することでも何でも相談しよう。
ちなみにWhisky CATとは、スコットランドの蒸留所にねずみ退治のために飼われている猫のことで、その猫の名は「害獣駆除員」の肩書きで蒸留所スタッフとして記録にきちんと残されているケースもある。中には有名な猫もいるという。