一度は寂れた温泉地が…~なぜ大人気になったのか?
東京から新幹線で40分だが、一時は客が激減し廃れていた熱海。ところが今、人気温泉地ランキングで全国1位に(2023年上半期「楽天トラベル」調べ)。押し寄せているのは20代、30代を中心とした若い世代だ。
彼らが向かうのが町の中心部にある熱海銀座商店街。かつては空き店舗だらけだったが、現在は若い観光客が道から溢れんばかりだ。
行列ができている「熱海プリンカフェ2nd」の店内は温泉地・熱海を打ち出したお風呂のような造り。商品は風呂桶に入って出てきた。その中身はどこかレトロな「熱海プリン」(390円)。丁寧に蒸し上げた滑らかな食感が売りだと言う。
女性客を惹きつけているのは店の雰囲気。「楽しいお風呂」と言うテーマで作られた店がインスタ映えすると、写真を撮りに来ていたのだ。
ちょっと大人の客層を集めている「和栗菓子 生糸」は、今、はやりの注文を受けてから絞るモンブラン。看板メニューの「生糸モンブラン」(2200円、ドリンク付き)には熊本産の栗を11個も使用している。夏の限定メニュー、モンブランかき氷「綿雪」(1980円、ドリンク付き)も人気だ。
熱海銀座商店街で賑わっているのは新しい店ばかりではない。奈良時代から続くという「小沢ひもの店」では、今年から店内での立ち飲みサービスを始めた。酒のつまみは店内で売られているお土産用の干物。干物はその場で焼いてくれ、しかも値段はお土産価格そのままだ。
会社員のグループが選んでいたのはエボダイと、この店のイチオシ珍味、「めぼう」(4本、350円)と呼ばれるイカの口。手頃に楽しめる立ち飲みが若い世代に受けている。
店は新しい客層を獲得し、売り上げは倍増したと言う。
「今は若い観光客が多く、土産品を買うよりも自分で食べて帰る人が多いと思う。その感じが今どきなのかなと」(店主・小澤毅さん)
従来の熱海とは違ったイメージの店が客を呼び込んでいるのだ。
熱海復活の裏には立役者がいる。町づくりの会社、マチモリ代表・市来広一郎(44)。熱海出身の市来は、廃れた熱海に活気を取り戻そうと会社を起こした。「熱海プリンカフェ2nd」や「生糸」は市来の呼びかけに応え、出店してくれたのだ。
街を再生させた秘策!~「狭いエリア戦略」の真相
その戦略には大きな特徴があった。町全体ではなく、熱海銀座商店街という狭いエリアに絞って成功を掴んだのだ。
「たった180メートルの熱海銀座商店街の中でやってきました。同じ思いでやってくれる人たちの輪を広げるためには、エリアを狭くしないと難しいだろうなと思って」(市来)
市来は商店街の中に再生の拠点となる場所も作った。宿泊施設の「ゲストハウス マルヤ」だ。ラウンジの奥には、カプセルタイプの宿泊スペースがある。
もともと熱海には温泉旅館や大型ホテルばかりが連なり、安い宿泊施設がなかった。そこで市来は1泊1人3960円~で、誰でも気軽に泊まれる施設を作ったのだ。
市来は「マルヤ」をベースに、熱海旅行のお楽しみの基本となるグルメ・温泉・観光の3つのポイントで仕掛けた。
一つ目は「熱海グルメは近所で」。東京から来た宿の常連客の会社員は、朝を迎えると、すぐ目の前の商店街の「釜鶴ひもの店」に入っていった。そこで旬の「イサキの干物」(756円)を調達すると、「マルヤ」に戻り、備え付けのグリルで焼き始めた。朝のおかずは商店街で買ってもらうシステムだ。ご飯と味噌汁は宿が300円で用意する。こんなやり方だから、商店街の他の店も潤うというわけだ。
二つ目は「地元の湯をフル活用」。「マルヤ」には熱海なのに風呂がなく、あるのはシャワールームだけだ。ワーケーションを兼ねて宿をよく利用するという客は、「マルヤ」で行ってみる価値のある温泉を教わった。そこは商店街を抜けた先の観光客はまず訪れない場所にある「山田湯」。地元の人に愛されている入浴料300円の共同浴場だ。地元の温泉を活用していく取り組みで、商店街、さらにはその周囲まで宿の恩恵が届いている。
三つ目は「知られざる穴場スポット」。「マルヤ」ではスタッフが熱海の街を案内するサービス「裏路地まちガイド」(1人1500円、金・土開催)を実施している。ただし連れ出す先は地元の人しか知らない店や場所ばかりだ。
例えば「マスターは94歳で今も現役。中は昭和にタイムスリップしたよう」とマネジャー・杉山貴信が紹介するのは、商店街の路地を入った「純喫茶ボンネット」。1952年創業で、かつては三島由紀夫がお忍びで通い、高倉健がコーヒーを魔法瓶で持ち帰らせた。そんな話をマスターの増田博さんが楽しく聞かせてくれると言う。こうしたガイドブックには載っていない魅力的な熱海を伝え、新たなファンを増やしている。
さらに市来は、宿の中で交流が生まれる仕掛けも作った。この日、ラウンジを覗くと、宿が主催するカードゲームの大会の真っ最中。参加しているのは地元の住民と全国各地からきた宿泊客だ。イベントの後には、みんなで町に繰り出し食事や飲み会になることも。こうして地元の人との交流が深まり、また来てみようというきっかけになる。
いつしか熱海は第二のふるさとのような場所に。これが市来の狙いだ。
「街にとっては、100万人が1回訪れるよりも1万人が100回訪れる方がプラスだと思っている。東京とは違うもう一つの日常を過ごしてもらえる場にしたい」(市来)
「熱海には何もない…」~観光客を呼び込む住民改革
熱海の中でも最も盛大な祭り「こがし祭り」。来宮神社の神々に感謝する伝統行事だ。
見どころは町内会ごとに作られた派手な山車。もともと引くことができるのは地元住民だけだったが、少子高齢化が進み、年々規模が小さくなっていた。そこで市来は、外からやってきた人も参加できるよう町にかけ合い、観光客も一緒に楽しめる祭りに変えた。
これにより祭りはまた賑やかになった。かつては保守的だったという町内会だが、「新しい考え方で祭りが活性化した。熱海を引っかき回してもらうのは、市来さんも大変だろうけど頑張ってもらいたい」(「銀座町内会」小倉一芳会長)と言う。
今でこそ地元住民を味方につけた市来だが、ここに至るまでには幾つもの壁があった。
1979年、熱海で生まれた市来には、小さな頃からお気に入りの風景がある。海岸沿いにホテルが並ぶ眺め。かつて大勢の客が押し寄せた熱海の繁栄を象徴する場所だ。
「夜はネオンがギラギラしていて、海岸沿いの一帯は人も多くにぎわっていました」(市来)
その様子が変わったのは市来が中学生の頃だった。バブルが崩壊し、街は一気に冷え込んでいく。その急変ぶりを市来は今もはっきり覚えている。
「その頃から急にお客さんが来なくなり、街が静かになった。そこから『お客が戻らない』どころか、どんどんお客が減っていく。『一家で夜逃げした』『自殺した』という話が耳に入ってきました」(市来)
その後、団体客を相手にしていた大型ホテルなどがバタバタと倒産。衰退していく故郷にうしろ髪をひかれながらも、市来は2003年、いったん東京で就職した。
しかし、熱海への地元愛は消えることなく、2007年にはUターン、ひとりで町を再生する活動を始めた。
まず手をつけたのは、観光客が来てくれなくなった理由の解明。市来はあちこち聞き込みをして回った。そして観光協会で衝撃的な話を耳にする。
それはある女性観光客の体験談だった。駅前のお店でお勧めの場所を尋ねると「熱海には何もない」の答え。タクシーの運転手も宿泊先の旅館も同じだった。憤慨した女性客は観光協会にクレームを入れてきたと言うのだ。
「そんな街にもし私が旅人として来たら、『二度と来ない』と思った。ここが変わらないとダメだと思ったんです」(市来)
そこで市来は2009年、地元の人たちを対象に、熱海の魅力を改めて知ってもらう体験ツアーを始める。知っているようで知らない温泉の歴史がわかるスポット巡りや、名物の干物を作るツアーなどを組み、熱海の良さを、身をもって体験してもらおうとしたのだ。
熱海在住でツアーに参加した疋田和歌子さんは「『ああ、こういう所で買い物ができるんだ』と。いろいろ知りました」と言う。
この時、大のお気に入りとなったのが、100年以上の歴史を持つ和菓子店「熱海本家ときわぎ」。立派な店構えで高そうと、地元の人も入るのをためらう店だったと言うが、実際は違った。あえて自然乾燥させた羊羹「登きわ木」(6本650円)など、伝統の技が引き継がれた味を手頃な値段で楽しめる、リーズナブルな店だった。
「初めて来た時は、思いがけずに欲しい物がいっぱいあってびっくりしました」(疋田さん)
こうしたツアーを年間70本以上実施し、地元の人たちの意識を変えていったのだ。
「『新しいものを作る』というよりも、今あるものを見つけ出して、『見せ方』『届け方』を変えれば、新しいファンが生まれてくるのではないかと」(市来)
こうした活動を経て2011年、市来はマチモリを設立。観光客だけでなく、地元住民も熱海銀座に呼び込むべく、さまざまなイベントを打つと、次第に成果が現れる。すると、それまで冷ややかな目で見ていた商店街の店主たちにも変化が起きた。
熱海銀座商店街で三代にわたり店を営む「スギモト薬局」の杉本一郎さんは、経営する薬局の半分を改装し、オーガニックなカフェをオープン。生の生姜を使った「辛口ジンジャーエール」(600円)などを売り出した。カフェは息子の祐一朗さんの発案。賑やかになった商店街で自分も新しいことに挑戦したいと父親を説得した。
「我々の年齢では考えられないけど、『やりたいことをやる』のが一番だと思う」(杉本さん)
江戸時代から続く『釜鶴ひもの店』の女将・二見裕子さんも、「老舗はこうじゃなきゃダメだという考え方を捨てさせられた。『変わらなければ』というエネルギーはすごく刺激になります」と言う。
市来の活動に触発され、熱海銀座の人たちが自分から挑戦し始めたのだ。
「人こそが“街のディスプレー”だと思う。『楽しそうな人たちがいる』状態が、一番周囲に変化を感じさせる。その変化をもっと見えるかたちにしていきたい」(市来)
「住みたい部屋がない!」~新ビジネスで課題を解決
観光客が戻ると同時に外から働き手も入ってきた熱海。そこで新たな課題も生まれている。若い世代が住む家が足りないのだ。そこで市来は新事業を立ち上げた。三好明が代表を務める「マチモリ不動産」で課題解決に動き出した。
扱うのは、例えば築60年以上経つ古いビル。20年以上、借り手がなく放置されてきた部屋で、人が住める状態ではない。
「『借りる人がいない』のではなく、『貸そうとしなかった』が正確な言い方だと思います」(三好)
オーナーはビルの1階で会社を営んでいて、部屋が空いたままでも困っていなかったと言う。マチモリはこうした物件に手を加え、新たな価値を生み出そうとしている。
部屋を探していた島嵜伸孔さんがこの春に契約した部屋は、間取りは2DKで6畳の和室が2間。古さ全開だった2DKはリノベーションで見違えるような部屋になった。家賃は9万円だ。
しかもリノベーションする前に入居者と打ち合わせ、要望まで聞いてくれる。シマザキさんがこだわったのはキッチン部分。わざわざ段差を作ってもらったのは、「友達が来たら、ここに並んで一緒に酒を飲んで、話ができるといいな」(島嵜さん)という理由からだった。
こんなやり方で課題解決まで行い、市来は熱海を住みたくなる町に変えている。
賑わいを取り戻した熱海は今、出店ラッシュに沸いている。
「ハレのヒ」も5月にオープンしたばかりの店だが、早くも地元の常連客がついた。
ウニやイクラを乗せた「カニクリームコロッケ」(2個1280円)などオリジナルの和食を出しているが、客の心を掴んだのは意外にも「豚汁」(400円)。飲んだ後の、締めにぴったり。優しい味わいだという。
店のオーナーシェフ・山田美幸さんは、「すごくビジネスチャンスを感じました」と、熱海に勢いを感じて出店を決めた。生まれ変わった熱海は、新たな全盛期に突入した。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
東京から入ると、海と堤防があり、斜面に建つ密集した街がある。リオに似ている。日本にはない景色。今思うと、あまりにも有名で、普通だった。市来さんは、そんな熱海に対する愛情があった。街に閉塞感があり、タクシーの運転手も「熱海には何もない」外の視点を持っている地元の人が関わるべき。どんな客層が訪れ、ファンになってくれるか。手軽に利用できる滞在拠点を町中に整える。これから観光客が増えようが減ろうが、新しいことを起こす。チャレンジする人間をどんどん生みだしていく。それがマチモリの思想だ。
1979年、熱海市生まれ。2007年、熱海へUターン。2010年、NPO法人アタミスタ設立。2011年、マチモリ設立。
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