世界最高の舞台で前人未到の活躍を続ける大谷翔平。以前、インタビューで明かした大好物が故郷、岩手県の岩泉ヨーグルトだ。「本当に美味しくて、僕は世界一だと思っています」と答えている。岩泉ヨーグルトは首都圏のスーパーでも売られており、一袋1キロ入りで710円だ。
このヨーグルトには大きな特徴がある。すくって傾けてもなかなか落ちないのだ。ヨーグルトとは思えない粘り気がモチモチの食感を生み出している。この数年でその販売数は2倍以上に急増している。
食のプロからも選ばれている。東京・千代田区の「ホテルニューオータニ」で体験できる「新・最強の朝食」。特選素材を使った約100種類の料理が並ぶ贅沢なビュッフェだ。食材は総料理長の中島眞介さん自ら全国を回り探し出したもの。中でも惚れ込んだのが岩泉ヨーグルトだった。初めて食べた時は衝撃だったと言う。
「パッと口の中でヨーグルトが膨らむ感じがする。それがスッと消えて最後に甘味が出てくる」(中島さん)
グラノーラにかけて食べるのがお気に入りだと言う。
「365日、毎日食べています。岩泉ヨーグルトを入れるだけでいろいろなフルーツの味が一瞬にして出てくる。ちょっと別格ですね」(中島さん)
岩泉ヨーグルトの故郷は90%以上を山林に覆われた岩手・岩泉町。人口8000人ほどの典型的な過疎の町だ。唯一の観光スポットが日本三大鍾乳洞のひとつ龍泉洞。地底湖の湧き水は「一口飲めば3年長生きできる」と言われている。ここでヨーグルトを作っているのが岩泉ホールディングスだ。
製造では地元で取れる生乳の味わいを生かすことにこだわっている。まず生乳の風味を損なわないよう通常より低温で時間をかけて殺菌。ここに加えるのが、社内でも一部の人しか正体を知らない特別な乳酸菌だ。「乳酸菌の違いによってヨーグルトの出来が変わってくる」(工場長・保呂草久人)と言う。
乳酸菌を加えた生乳はそのままアルミの袋に入れて蓋をしてしまう。入れた時はまだ液体。アルミの袋の中で発酵させる日本初の製法だ。これを33度の部屋に20時間置いておくとヨーグルトになると言う。岩泉ホールディングス社長・山下欽也は言う。
「袋自体を『小さなヨーグルト工場』と呼んでいます。時間を短縮しようと思ったら発酵温度を上げればできる。固まらなければ固まる素材を入れれば固まる。でもそれは素材を無視している。自分の力でできあがるのを待つんです」
絶品が生まれる戦略~東京の名店と次々にコラボ
岩泉ホールディングスは町や酪農家が出資した第三セクターの企業で、道の駅「いわいずみ」も運営している。店内には独自開発した商品が多く並ぶ。
自慢の牛乳を使った手作りチーズは数量限定の希少品。インドのカッテージ風チーズ「岩泉パニールチーズ」(432円)は濃厚な味。龍泉洞の水を使った「龍泉洞の炭酸水」(200円)はG7・広島サミットで各国のトップに振る舞われた折り紙つきの逸品だ。
地元の素材を使った商品で山下はヒットを連発。岩泉ホールディングスの売り上げは30億円に迫る。
一番の目玉商品は店の奥で大行列を生んでいた。岩泉の牛乳を練り込んだイタリアンジェラートだ。「ダブルカップ」450円~。岩泉ヨーグルトや地元のフルーツを使った18種類の味が大評判となっている。こんな名物で山奥の町に年間28万人を呼び込んでいる。
このジェラートを仕掛けたのも山下。東京・渋谷の「109」などで人気のジェラート専門店「ヴィト」にコラボを持ちかけたのだ。
「野良作業で疲れた近所のお母さんたちの集いの場になっている。長靴を履いてオシャレな店に来てジェラートを食べてコーヒーを飲む。これが岩泉の今のトレンドです」(山下)
山下は次の一手となる名物を作ろうと動き出している。今度タッグを組むのは東京・築地のイタリア食堂「築地のら」だ。
「濃厚というのはよくありますが、ここまで濃厚なプリンは初めてだったんです」(山下)
焼き上げは6時間がかり。だから一日20個しか作れない幻のプリンだ。山下はこの店にレシピを教わり、秋に岩泉オリジナルのプリンを出そうとしているのだ。
レシピを提供するシェフの有田大輔さんは「初めて岩泉ヨーグルトを食べておいしくてびっくりしました。関わりたいと思うぐらい本当にすごいです」と言う。
岩泉では教わったレシピをもとに試作を繰り返していた。取り出したのは自社のクリームチーズ。これを足してさらに濃厚なチーズプリンにすると言う。
クリームチーズ、牛乳、卵と食材は岩泉産ばかり。これを「のら」と同じように6時間かけて焼き上げる。名店の技術と岩泉素材を掛け合わせているのだ。
「自分ができないことを知っているんです。だからできているものを参考にして、できればそれを一歩越えたい。『のら』の技術と岩泉の素材を組み合わせることで、すばらしい商品ができると思っています」(山下)
その一方で、山下はヨーグルトの販路拡大にも動いている。この日、訪ねたのはフランスパンの名店「メゾンカイザー」コレド日本橋店。名物の香ばしいバゲットは生地を20時間発酵させて作っている。
対応してくれた社長の木村周一郎さんに「生地に使えないか」とさっそく売り込む。岩泉ヨーグルトを初めて食べた木村さんは「おいしい。何かに練り込んでしまうのはもったいない」と言い、クルミのパンを持ってきて岩泉ヨーグルトを塗り始めた。さらにオレンジピールも。発酵に長時間かけるコンビのオープンサンドだ。
「ナッツの香りと絶対、相性がいいと思ったんです」(木村さん)
岩泉ヨーグルトを使った商品の開発を検討することにした木村さん。その後、濃厚な岩泉ヨーグルトがしっかり味わえる新感覚のスイーツパン「冷やしてもおいしいブリオッシュピッツァ」(400円)が2023年8月、「メゾンカイザー」で販売されることが決定した。
「この小さい町でビジネスが完結できればいいですが、それは絶対できない。だとすれば外に売るしかない。外貨を稼ぐことが大事になるんです」(山下)
累積赤字2億8000万円~どん底からの大逆転劇
岩泉では16軒の酪農家がヨーグルトを作る生乳を絞っている。「千葉牧場」の千葉正勝さんもそのひとり。ウクライナの戦争の影響で配合飼料の値段は3割増しに、電気代は2倍になった。「全部、価格が上がってしまい圧迫される。厳しいです」と言う。
そんな中、岩泉ホールディングスは酪農家にエールを送りたいと、2023年2月に10万円ずつ支給した。
「本当にありがたい。恩返しするためにいい牛乳を頑張って絞ろうという気持ちです」(千葉さん)
「地域に生乳がないと我々の仕事はできない。どこまでも両輪でいかないといけない」と言う山下。今でこそ酪農家を支え、感謝もされているが、ここに至るまでには苦難の道のりがあった。
1956年、岩泉に生まれた山下。家業は酪農で、物心ついた時から牛とともに育ち、就職先には地元の農協を選んだ。地場産業の酪農を守ろうと燃えていたという。
「この地域を何としても衰退させたくないと」(山下)
しかし、そこには厳しい現実があった。岩泉には小規模の酪農家が多いが、時代は大規模酪農が主流となり、経営は困難に。かつて600戸以上あった酪農家だが、2000年には8割近くがやめていた。
そこで2004年、町は農協や酪農家とともに現在の会社の前身となる第三セクターの岩泉乳業を設立。山下も酪農の未来を切り開きたいと48歳にして岩泉乳業に転職した。
そして主力商品として開発したのが低温殺菌した高級牛乳。だが、これがまったく売れない。岩泉乳業は1年目から赤字に陥り、4年後、累積赤字は2億8000万円に膨らんだ。会社に見切りをつけ、社員の3分の1が退社。製造自体が危うい状況に追い込まれた。
当時を知る社員は「毎月赤字で『いつまで持つか』という感覚でした」と言う。経営責任を問われ、社長も相次いで交代。そんな中で白羽の矢が立ったのが、当時、工場長を務めていた山下だった。
ただし、社長を引き受けるなら2億円を超える借金の連帯保証人にもならなければいけなかった。3カ月間、悩みに悩んだ末に山下は決断。社長を引き受けた。
「やはりこの会社がひとつの輝き、希望でした。引き継がないのは『男としてどうか』というのもありました」(山下)
だが、このまま牛乳を売っていたら会社は半年と持たない。山下は当時、細々と作っていたヨーグルトに会社の命運をかける。しかし無名のヨーグルトも当初は売れなかった。町の資金が入っていることもあり、周囲から厳しい言葉を浴びせられるようになる。
「『いつまで税金を使って会社を続けるの?』と言われたことがあって、つらかったですね。でも腹が決まると、『今に見ていろ』と」(山下)
山下は突破口を求め、小売りがダメなら業務用と病院やホテルに営業をかける。すると転機が訪れる。山下はあるホテルの朝食ビュッフェで、ヨーグルトが大きなボウルに盛られて出されているのを見かけた。どこのヨーグルトか、スタッフに尋ねると、「市販のヨーグルトをたくさん買ってきてボウルにあけて出している」と言う。
そこで山下は、アルミの大きな袋を使った業務用に便利なヨーグルトを思いたつ。すると奇跡のような出来事が起きた。これまでと同じ原料で作ったのに、アルミの袋の中でモチモチした食感が生まれたのだ。
「『やった!』という感じ。後からついてきた結果で、こう言うと寂しいですが、棚からボタ餅ですよね」(山下)
これがホテルなどで次々に採用され、「おいしい」という噂が口コミで広がっていく。スーパーにも並ぶようになり、社長就任から3年後、会社は黒字化した。
「ちょっと奇跡に近い部分はあります。自分の人生は綱渡りですよ(笑)」(山下)
今やグループの社員は280人に。岩泉町一の雇用を生んでいる。入社2年目の前川祐夢は「岩泉町の役場と給料が変わらないのはすごいと思います。多くもらえた分は親孝行に使いたいと思います」と話している。
相次ぐ危機に廃業寸前~いま明かされる感動秘話
ヨーグルトのヒットで危機を脱したかに見えた岩泉ホールディングス。しかし黒字化から4年後、今度は大災害に見舞われる。
2016年、台風10号が岩手県を襲い、会社の横を流れる川が氾濫。三つの工場は全て壊滅状態になり、ヨーグルトは製造中止となった。いったん更地にしなければどうにもならないという被害を負ったのだ。
「ただただ落ち込んで心が折れた。『もうダメかも』のひと言ですよね」(山下)
そんな時、山下達の背中を押してくれた物がある。全国から送られてきた1000通を超える励ましの手紙だ。91歳の女性からの手紙には、「老婆の気持ちだけお送りしますのでご笑納ください」という一文とともに、1万円が同封してあった。
「『自分だけではなくて、待っている人がたくさんいることを忘れないでくれ』と。こういうお客様は再開した時にまたお客様になってくれる人たちだろうなと思いました」(山下)
山下は50人の社員を集めて、「ヨーグルトは作れなくても給料は払い続ける。今のメンバーで再建しよう」と宣言した。
実際にその場にいたひとり、当時営業責任者だった下道勉は「『いったん休職か解雇』と言われると思っていたんです。でもできるならヨーグルトをまた作りたい。『よし、やろう』と」と言う。
再び前を向いた社員たち。工場が再建されるまでは、他の地域で製造されていたヨーグルト以外の商品が経営を助けたという。山下のもとで1年後、工場は動き出した。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
岩泉町、盛岡からさらに奥にある。牛乳の価格は大手の1.5倍、販売は低迷した。廃業の危機だと言われ、主力をヨーグルトに。牛乳を低温で長時間発酵させ、2日間。濃厚な味わい。カタログで、大谷翔平が「1番のオススメは岩泉ヨーグルトで、本当に美味しくて、僕は世界一だと思ってます」町内の主婦らが親戚や知人に送るようになると知名度は全国に。3億円あった累積赤字を解消したとき、台風で工場はすべて被災。救ったのは「龍泉洞」の水だった。神秘的で透明に近いブルーの水だ。「龍泉洞」が岩泉を支えている。
1956年、岩手県生まれ。1978年、岩泉高等学校卒業後、JA岩泉町に入組。2005年、岩泉乳業に入社。2009年、社長就任。2016年、岩泉ホールディングスを設立。
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