教養としての教養 角田陽一郎

投資がもっと楽しくなる!日興フロッギー選書/ クロスメディア・パブリッシング角田 陽一郎

投資や資産形成をもっと楽しくするためにピッタリの書籍を、著者の方とともにご紹介する本連載。今回は、教養として「歴史」を知り、投資に活かすために、どんなふうに歴史を捉えればいいのか、元TBSのプロデューサーで数多くのヒット番組を手掛けた著者の角田陽一郎さんと見ていきましょう。[PR]

「いいクニつくろう鎌倉幕府」は過去のモノ

皆さんは教科書で鎌倉幕府の成立を何年と習いましたか? これ、皆さんの年齢によって違うんですよね。1970年生まれの私は1192年と習いました。おそらく一番有名な歴史年号の語呂合わせ「イイクニつくろう鎌倉幕府」のイイクニ(1192年)ですよね。多くの方がそう認識されているのではないでしょうか。

ところが今の教科書ではそうなっていません。つまり、若い人は鎌倉幕府の成立を1192年とは習っていないのです。この記事ではそんな「日々変わっていく歴史」についてお話ししたいと思います。

そもそも1192年がなぜ鎌倉幕府の成立年だったのか。それは、源頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年だからです。では、頼朝が1192年に征夷大将軍に任命されたのは間違いだったのかというと、そうではありません。今も変わらず、1192年に任命されたというのが定説です。

つまり、より正確にいえば「鎌倉幕府成立の定義」が変わったということなのです。

研究者によって異なる見解

今までは、「頼朝が征夷大将軍に任命=鎌倉幕府の成立」と定義されていたのが、「鎌倉幕府は、頼朝が征夷大将軍に任命される前からすでに成立していたんじゃないか?」という疑問が歴史関係者の間で噴出したから、鎌倉幕府の概念が変わったのだと推察されます。そして現在でも、鎌倉幕府の成立年は研究者によって、例えば次のように見解が異なっています。

・頼朝が侍所を設置して、事実上東国の武士たちを支配下に置いた1180年
・東国の支配権を承認する宣旨が朝廷からくだされた1183年
・公文所及び問注所を開設した1184年
・守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された1185年
・頼朝が日本国総守護地頭に任命された1190年

そのため、教科書はその年代を明記することをやめて、あえてぼかして書いている節があります。でも、歴史を学ぶときの拠り所である教科書がぼかして書いてあるって、どういうこと? はっきり言って、困ります。

そんな混乱をきたしている鎌倉幕府の成立の年について、どう認識するのがよいでしょうか? 私が言いたいことは、ずばりこういうことです。

「私たちが持っている歴史認識の、『認識自体』を変えること」

つまり、「鎌倉幕府というものの成立が何年か」を定義するのではなく、「そもそも鎌倉幕府とは一体何なのか」を考えてみることだと思います。

定義が曖昧なときは「英訳」を調べる

実は鎌倉幕府の成立年が曖昧なのには、もうひとつの別の理由があるのです。それは、鎌倉幕府が「初めて成立した幕府」ということ。歴史上、幕府は3つ誕生しました。鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府です。鎌倉幕府だけでなく、室町幕府も江戸幕府も、後世の歴史業界が名付けた名称です。

そもそも「幕府」の定義とはなんでしょうか?

これもまた、なかなか曖昧ですが、このように定義が曖昧な時、私はその英訳を調べます。今回のように、幕府というものを研究家が外国人に説明する時に、「つまりこういうことなのよ」ということを端的に説明しないと、外国人には幕府の意味が伝わりません。逆に言えば、外国語に翻訳する時には、むしろ国内の諸事情に影響されずに、端的に外国語に言い換えられたりすることが多いからです。

そこで調べてみると、鎌倉幕府のことは、Kamakura military governmentと訳されていました。つまり、幕府とは現代語で言えば軍事政権なのです。武士は軍人であり、その大将=将軍がつくった政権だからです。

話を幕府の設立に戻しますが、室町幕府が成立したのは1336年で、足利尊氏が建武式目という新たな決まりを制定した年とされています。ちなみに尊氏が征夷大将軍に任ぜられたのは1338年。かつてはこの年が室町幕府の成立年とされていたと思います。

そして、江戸幕府の成立は、1603年と今のところ変更はありません。この年は徳川家康が征夷大将軍に任じられた年です。

つまり、幕府という軍事政権のシステムが3個目になってだんだんと固まっていき、ようやく幕府の設立要件として、「征夷大将軍に任ぜられたことを設立年に決めてもいいや!」というコンセンサスが、むしろそのあとの近代になって研究家たちの間で取り決められたのです。その取り決めを、今度は逆にその前の室町幕府や鎌倉幕府に当てはめてみたわけです。そして、

・源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年が鎌倉幕府の成立年
・足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられた1338年が室町幕府の成立年
・徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた1603年が江戸幕府の成立年

と決め、それが長いこと定説として採用されていたわけです。

繰り返されることで「決まり」になる

ただ、研究が進むと「征夷大将軍就任以前から、もう頼朝も(なんなら尊氏も)、事実上は軍事政権を成立させていたんじゃないのか」という疑問が出てきて、調べれば調べるほど、その感じが強くなり、そして最近、ついに実質的に軍事政権が成立した年を、各幕府の成立年に定義しようとなったのです。

すると、室町幕府の設立は、足利尊氏が建武式目を制定した1336年となるわけです。これは、単に候補が1つあるだけで、すんなり決定となります。

でも、先述したように、鎌倉幕府の成立年には候補が4つありましたよね。これはなぜでしょうか?

江戸幕府→室町幕府→鎌倉幕府と、時代を遡るにつれて、どんどん曖昧になっていますよね。その理由は、「鎌倉幕府が初めての幕府だから」ということです。源頼朝という軍人の大将が、初めてつくった幕府(軍事政権)は、当然ながらそれまでこの日本にはありませんでした。最初にできたものだから、始まりは曖昧、というわけなのです。

物事の始まりは曖昧です。なぜなら人は決まったことをやってるわけではなく、なにか初めてやった始まりが、のちに繰り返されると「決まり」になるからなのです。

歴史は日々、変わっていくもの

私はこのように「歴史で起こった現象の始まりは、つねに曖昧だ」と理解することのほうが、人生にとって重要なことだと考えています。

なぜなら、それは歴史だけでなく、文系・理系問わずあらゆる教養や、学問だけでなく社会の法律やルールや慣習やしきたり、個人のルーチンワークなど、すべてのことに言えるからです。

「決まり」とは、誰かが「決めた」から「決まり」なのではありません。ある物事がそういう風になっているから、それを鑑みて、みんなが(意識・無意識にかかわらず)そう思うから「決まり」になるのです。そして代を重ねるごとに、その「決まり」が強固になっていくのです。

私たちが今生きている現代社会は、法治国家です。すると「決まり」というのは、国会で審議する、あるいは学校や組織が決まりを制定するから「決まり」になります。そうなることがあまりに自然なので、私たち現代人は「過去の歴史でもそうだった」と思いがちなのです。

でも、実際は違いますし、現代においても違います。「決まり」は、みんながそれを承認するから「決まり」なのです。曖昧なものが、時代を下るにつれて、徐々に固まっていきます。逆に、今は決まっていることでも、その「決まり」が時代に合わなくなったら、変わっていきます。

私たちの時代だって、これから新たな「決まり」が、みんなで(あなたによって)つくられていくのです。そうした「歴史が日々変わっていく」感覚を持つために、私たちは歴史という教養を学ぶのです。

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