絶品カレーに世界各国の料理~プロ顔負けの味付けを簡単に
コロナで生まれた「おうち時間」を使ってスパイスからカレーを作る人が増えたという。
カレー作りに欠かせない基本スパイスは3つ。ターメリックはウコンとも呼ばれカレーの黄色を作る。葉の部分がパクチーとして知られるのがコリアンダー。そしてクミンは香りのベースになる。スパイスカレー人気でこれらのスパイスが売り上げを大きく伸ばしている。スパイスと聞けば誰もが思い浮かべるのがエスビー食品だ。ちょうど100年前の1923年に創業。社員数は約2100人、売上高は1200億円を超える。
エスビーの商品をよく目にするスーパーのスパイスコーナー。シナモン、チリパウダー、ハバネロペッパーなど、世界各地からさまざまなスパイスやハーブを仕入れている。エスビーはスパイス商品の売り上げで国内トップシェアを誇る。
多くの人になじみがあるのは、スパイスの味や香りが効いた本格的なカレーが手軽に作れるカレールウだろう。エスビーはカレールウだけで約40種類をラインナップ。シェアはハウス食品に次いで2位だが、エスビーの武器は使っているスパイスやハーブの種類が多いことにある。
1950年発売の家庭にカレーが広まるきっかけになった「赤缶カレー粉」。これにも30種類以上のスパイスが使われている。
その「赤缶カレー粉」が今年進化し、2人分の小分けした袋タイプを新発売。より手軽に使えるよう、国産牛のダシなどを加え、さらなるカレーファンの拡大を狙っている。
エスビーのスパイスへのこだわりが分かる川崎市の倉庫。世界中から厳選して集めたスパイスは、この倉庫だけで3000トンにも及ぶという。
「定期的に現地に出張して、求める品質になっているかどうかをしっかり確認した上で最終的に購入を決めます」(開発生産グループ・小巻博之)
集めた大量のスパイスは、埼玉・東松山市の選別と粉砕を行う工場に運ばれるのだが、産地を明かせないスパイスも多く企業秘密だらけ。今回初めて、その一部をテレビで取材することが許された。
スパイスを選別する機械。中にある棒のようなものはカメラだ。機械の中を流れるコショーをカメラが捉えると、色や形の悪いものを瞬時に識別し、空気で吹き飛ばしていく。
エスビーが特にこだわっているのがスパイスを粉砕する工程。「20連スタンプミル」という機械の中では、20本の杵が餅をつくようにターメリックを砕いていた。「熱が出にくく、スパイスの香りが飛びにくい。香りが高くてしっかりしたほうが、それぞれのスパイスが混ざる時の特徴づけになる」と言う。スパイス本来の香りを残すため、あえて倍の時間がかかるこのやり方を創業時から貫いている。
粉砕されたスパイスは長野・上田市へ。ここでカレー関連の商品などを作っているが、「配合は秘密」(執行役員上田工場長・河合葉子)。どのスパイスをどれだけ配合するかはトップシークレット。さらに、香りを最大限に引き出すため、配合のタイミングもスパイスごとに変えている。長年培ってきたこの「秘伝のノウハウ」によって、エスビーのカレーは作られているのだ。
カレーだけではない。「シーズニング」シリーズは数種類のスパイスと調味料がブレンドされたもので、あれこれ用意しなくても本格的なスパイス料理が手軽に作れる。約100種類をラインナップ。「鶏肉のトマト煮」や「ローズマリーチキン」「ジャンバラヤ」「タンドリーチキン」など世界各国の料理が家庭で手軽に楽しめるとあって、大きく売り上げを伸ばしている。
ヒットを生む商品開発術~食べ歩きに試食100回
エスビーの商品は3700種類以上。中には「おでんの素」や約20種類のジャムまである。多様な商品を生み出すカギを握るのが商品企画の担当者たちだ。
マーケティング企画室の大塚潤一郎と落合桃子が向かったのは東京・千代田区のタイ料理店「メナムのほとり」神保町本店。すでに販売しているエスニックカレーのリニューアルのヒントを求めてやって来た。
エスビーの商品開発のキモがこの「食べ歩き」。食べるだけでなく、店側と交渉して厨房の中へ。そしてどんなスパイスを使っているか見せてもらい、実際に調理をしてもらいながら店の味の秘密を探っていたのだ。
「メナムのほとり」のオーナー・外ノ池祐太さんに「他のメーカーとエスビーの違い」を聞くと、「エスビーさんは厨房の中まで入ってきますね」と笑う。
「やはり厨房を見ないと、どういう材料を使っているのか、どういう風に調理していくのか一連の流れが分からないですし、見ながら感じる部分はすごく多いので」(大塚)
このあと2人は神保町のインド料理店「マンダラ」へ。1日に4、5軒食べ歩くことも。ちょっとキツそうだが、それだけでは終わらない。味を覚えているその日のうちに、試作品作りに取り組む。
食べ歩きで得た情報をヒントに、販売中のエスニックカレー「グリーンカレー」に輪切りの唐辛子を加えてみる。ひとつの商品で多い時には100回以上も試食を行うという。
こうした試作品作りは、会社だけでなく自宅で行われることもある。台所で「ハバネロ」という辛い唐辛子を使った「ラー油」を作りながら、「唐辛子類は皮よりも中のワタや種のような部分が辛味を持っている」と言うのは、エスビー食品社長・池村和也(61)だ。
「面白い食材や珍しいものがあると、こんなものができるんじゃないかというひらめきが生まれて、すぐ作りたくなる」(池村)
池村は長年商品企画に携わってきたアイデアマン。2000年代前半には低迷していたスパイス部門を立て直し、チューブ入りのお得用を企画するなど数々のヒット商品を生み出してきた。
刻んだハバネロに高温の米油を注ぎ、エキスが出るのを待って濾せば、香りと辛さたっぷりのハバネロラー油が完成した。スパイスへの飽くなき探究心。それはすべての社員が持つエスビーのDNAだという。
「失敗して失敗して、汗水垂らして作り上げた商品のほうが成功して長続きする可能性は高いかな。頑張れるところまで頑張って、合格点に達したら商品化をさせるというのが、エスビーイズムかなと思います」(池村)
「日本初」の商品を続々開発~失敗を恐れない開拓スピリット
エスビーの歴史を伝える東京・板橋区の「スパイス展示館」を池村が案内してくれた。
「赤缶カレー」の巨大オブジェがお出迎え。1952年発売、日本初の家庭用瓶入り「特製コショー」や、1970年発売、日本初のチューブ入り「洋風ねりからし」などが並ぶ。エスビーはスパイスの新しい価値を作り出し、世に広め続けて、今年100周年を迎えた。
創業者は埼玉出身の山崎峯次郎(1903−1974年)。上京してソース店で働いていた17歳の時、初めて食べたカレーライスに衝撃を受け、「自分の手でカレー粉を作りたい」と思う。しかし当時のカレー粉はほとんどが海外からの輸入品。レシピはどこにもなかった。記念館には、当時のことを語った山崎の肉声が残されている。
「カレーというものは何か木の板か葉っぱを粉にすればそれで出来上がると思っていた。こんな多くのスパイスでできるとは思っていない」
どのスパイスをどんな割合で調合すればいいか、皆目、見当がつかない。自分の鼻と舌だけを頼りに調合を行っては、失敗を繰り返した。しかしある日、ひょんなことから突破口が開く。
「捨て忘れていた調合したカレー粉の缶からものすごく芳醇な香りがしてきた。これこそ、自分が追い求めてきたカレー粉のベースじゃないのかと、思い当たったんですね」(池村)
時間をおくことで調合したスパイスが熟成し、芳醇な香りを漂わせていたのだ。
こうして試行錯誤から3年後の1923年、山崎はついに国産初のカレー粉を発売。その後も改良を重ね、1950年には集大成ともいえる「赤缶カレー粉」を世に送り出した。
池村が入社したのは1986年、キャリアの大半で商品企画に携わってきた。
「失敗の山をいくつ作ったのか、分からないぐらいです。失敗作品を量産させていただきました」(池村)
忘れられない失敗作がある。レトルトのカツカレーだ。同僚から「カツとカレーを一緒に袋に入れると衣がふやける。商品化なんて絶対に無理だ」と言われても、作ってしまった。それが2000年発売の「こってりカレー」。どうしてもレトルトのカツカレーを作りたく、みじん切りのカツを入れたのだが、一部のファンにしか売れなかった。
実は商品化を決める役員会議では役員から猛反発を受けたが、「面白いじゃないか、これでいこう」という社長のひと言で商品化が決まった。
「失敗してもいい、遠回りになってもいい、チャレンジしてみろというトップの精神が受け継がれているのがエスビーじゃないのかなと思います」(池村)
池村の次なるチャレンジは低迷するスパイス部門の立て直しだった。
2003年にはスパイスファンを増やすため、従来より量を減らして値段も買いやすい100円均一にした「スマートスパイス」シリーズを発売。その後もオーガニックの「ORGANIC SPICE」や高級路線の「FAUCHONスパイス」、さらに初心者向けの「シーズニング」シリーズなどを相次いで発売。スパイス部門の売り上げを20年でおよそ5割アップさせたのだ
「違ったターゲットや違ったニーズに対応する商品とすることによって、今まで世の中になかった新しいマーケットが生まれてくる。スパイスはいろいろな無限の夢があっていいなと思います」(池村)
肥料にスープの出汁まで~食料廃棄物を有効利用
毎日大量のスパイスやハーブを使うエスビー食品。当然、選別に漏れたスパイスの廃棄物が出る。その量は月に約20トン。その再活用に動いていた。
栃木・鹿沼市の農業用の肥料を作る会社「プロトリーフ」では、廃棄されたスパイスやハーブから堆肥を作っていた。スパイスによる「虫除け効果」もあるのではと期待されている。さらにこの堆肥を、現在ホームセンターで売られているハーブの苗の肥料に活用できないか。エスビーとともに検証を重ね、商品化を目指していくという。
「ハーブも植物なので、植物に大事な土や栄養を作るのに、またハーブの力を使えるのは面白い新しい取り組みかなと思います」(「プロトリーフ」飯山翠さん)
一方、社内では、フードロスを減らすだけでなく商品作りに活かそうとしている。
この日作っていたのは、カレーなどを作る過程で出た鶏の不要部分を煮込んだスープ。
「鶏のうまみ、濃さが凝縮されている」「鶏肉を食べているみたい」「有名店のラーメンのスープを飲んでいるみたい」という声が上がり、急遽、スープをラーメンと合わせてみることに。試食会に参加していた池村も「うん、おいしい」となかなかの高評価。このスープを使って商品化できないか、アイデアを膨らませていく。
「実に濃厚で、まさにコラーゲンの塊。飲み込みで困っている嚥下の問題を抱えている人たちだとか、あるいは美容に役立つとか。いろいろな使い道がこれから出てくる」(池村)
来年中の商品化を目指して今後も試作を繰り返していくという。
~村上龍の編集後記~
S&B、エスビーと聞くだけで赤い缶を思い出し、カレーの香りがしてくる。創業者は初めて食べたカレーライスのおいしさに魅了され、情報が何もない中、味と勘だけを頼りにカレー粉の製造に没頭した。周囲から変人扱いされながら数年かけて、1923年日本初のカレー粉の製造に成功した。この探究心が、S&Bの100年を作った。池村さんは、データの中に新しいニーズはないと言う。自分の足を使った市場調査が重要視されている。食べ歩きだ。新商品の試食も、100回を超えることがあるらしい。
1962年、三重県生まれ。1986年、上智大学卒業後、エスビー食品入社。2013年、執行役員就任。2022年、代表取締役社長就任。
ほかの経済ニュースに興味がある方はこちらでご覧いただけます。