行列必至の絶品スイーツ~ヒットを連発させる舞台裏
北海道札幌市。オープン前の「大丸」札幌店で列ができていた。開店と同時に客が向かったのは「ノースマン」。お目当ては、パイ生地でたっぷりの生クリームと餡子を包んだ「生ノースマン」(4個、980円)というスイーツだ。1日6000個作っているが、連日、午後には売り切れてしまう。
実はもともと「ノースマン」という北海道で50年近く愛されてきた銘菓があった。そこに生クリームを入れて大ヒットを生んだ。
「生ノースマン」を手がけるのは100年以上の歴史を持つ老舗和菓子店「札幌 千秋庵」。ここは2022年から新商品でヒットを連発している。
そのひとつ、どら焼きの「巴里銅鑼」(344円)の製造過程を見せてもらった。
和菓子に使われる材料の求肥は「手早く混ぜるのですが、早すぎると固まるし遅すぎると焼けてしまう。やわらかい求肥を求めるので難しい」(製造部・阿部弘)と言う。練り上がった求肥は型に入れて機械でプレスする。
洋菓子用の素材、ケーキのスポンジ生地にまず餡子、そこへ先ほど作った求肥、さらに生クリームと乗せていく。和菓子と洋菓子の技術を合体させた「巴里銅鑼」は去年発売すると大反響を呼んだ。求肥がこれまでなかった新食感を生み出している。
去年、「千秋庵」は北海道コンフェクトグループの一員になった。そこで共同開発した新作スイーツが当たり、売り上げが急増しているのだ。
「7億円ぐらいだった売り上げが15億円と2倍以上に。急激に売り上げが伸びた経験がなかったので、感動しました」(取締役・川口敦弘)
北海道コンフェクトグループの会社のスイーツは北海道のみならず全国にファンを持つ。
ネット限定の冷凍チーズケーキ「チーズワンダー」(6個、2980円)もそのひとつ。1時間、常温で解凍すると、店頭に並べておくと崩れてしまうほどの柔らかなムースに。冷凍だからこそ最もおいしいタイミングで味わえるチーズケーキだ。ただし週末の二日間、夜8時からの限定販売。早い時は30分で売り切れてしまう。
進化させた新しいスイーツでヒットを生む北海道コンフェクトグループ。まだ創業して1年だが、売り上げ75億円と快進撃を続けている。
「メルティマジック」(5個、3280円)というネット限定のチーズケーキは、食べる前に付属のキャラメルクラッシュを振りかけ、別売りの400円のバーナーで炙る。パティシエ気分が味わえるスイーツだ。
「2分で売り切れが続いています。炙っている時は楽しいですよ」と言うのは、北海道コンフェクトグループ社長・長沼真太郎(37)だ。ヒット商品を連発する長沼だが、パティシエ経験はない。それでもヒットを生み出す独自のやり方を持っている。
「職人になると自分が作りたいものを作ってしまう。それより、みんなが知っている定番のお菓子を少し進化させたり、少し手間をかけて今までにない味にすることを大事にしています」
北海道を代表する名店の2代目~「おいしさの3原則」とは
長沼は過去にも同じ手法で成功を掴んでいた。10年前、東京に「ベイク」という会社を立ち上げ、チーズタルトの店を続々オープン。定番商品に「焼きたて」という付加価値をつけ客を呼び込んでみせた。「ベイク」は70億円を売り上げるまでに急成長。メディア出演も相次ぎ、長沼は時の人となった。
「北海道の田舎から東京で勝負するという感覚だったので、本当に嬉しかったです」(長沼)
しかしその成功を6年前、長沼はあっさり手放す。「ベイク」を投資ファンドに売却してしまったのだ。そして戻った先が北海道の「きのとや」。北海道では知らない人のいない洋菓子の人気店だ。
「きのとや」を作ったのは長沼の父、昭夫。長沼は「尊敬する存在であり、目指す存在でもあります」と言う。
昭夫は2014年、カンブリア宮殿に出演。そこでおいしいケーキを作るための3原則を語っていた。
「一つ目は『最高の食材を使う』、二つ目は『作りたて、鮮度が大事』、三つ目は『手間をかける』。『本当においしいものは誰が食べてもおいしい』といつも社員に言っています」
そんなこだわりを分かりやすく体現しているのが「『きのとや』で一番おいしい」(昭夫)と言うショートケーキだ。こだわりはケーキの側面に。よく見るとスポンジが4層に分かれている。作る際に手間はかかるが、こうすることでスポンジの口溶けが良くなると言う。
「手間をかけておいしいケーキを作る。手を抜いたら必ず味は落ちます」(昭夫)
北海道に戻った長沼は、こだわりのお菓子をさらに進化させるべく、尊敬する父親とともに北海道コンフェクトグループを立ち上げた。目指すはお菓子の連合艦隊。「きのとやグループ」を中心に、買収した菓子メーカーなど6社が連携している。
そのコンセプトは、「まだ見ぬおいしいを、北海道から」。これまでにないおいしさを追求している。
コンセプトの実現に向け自社牧場まで手に入れた。北海道日高町の東京ドーム7個分という広大な土地に70頭を放牧。その牛から絞った生乳でスイーツを作っている。
「お菓子はレシピがグラム単位で決まっている。逆に言うと誰が作っても味は変わらない。変わるポイントは原材料です。だからこそ原材料が重要だと思っているんです」(長沼)
青草をたくさん食べさせた牛の乳はカロチンやビタミンが豊富で、色も黄色がかる。スイーツにした時に豊かな風味が生まれ、差別化の武器になると言う。
「やはり我々の原点は『おいしさの3原則』だから、そのひとつひとつを究極まで極めていく」(長沼)
新しい菓子作りへの挑戦~いつも身近にケーキがあった
こだわりの放牧牛乳を使った新しい菓子作りも始まっている。
放牧牛乳と生クリームを混ぜ合わせ、砕いたチョコレートに投入して出来上がるのは生チョコレートだ。冬になると牛乳の脂肪分が上がり濃厚になるため、冬季限定で作っている。まさに究極の生チョコなのだ。
長沼はこの素材を活かそうと、クッキーを焼きあげる特注機械まで作った。生地を鉄板で挟み、上下から焼き上げる。こうすると水分が一気に飛んでカリカリのクッキーに。これに先ほどの生チョコをたっぷり乗せていく。こんなやり方で、定番のチョコクッキーをここにしかないスイーツに進化させた。
「通常のお菓子メーカーは、買った機械で作れるお菓子を開発するのですが、我々は機械のことを考えずにお菓子を作る。何にも制約されずに最高のお菓子を作りたい」(長沼)
1986年、「きのとや」の跡取り息子として生まれた長沼。幼い頃からいつも身近にケーキがあったと言う。
「よく父が試作品を持って帰ってきて、家族の食卓で新商品を食べながら『こっちのほうがいい』とか話していた記憶はあります」(長沼)
順風満帆だった「きのとや」だが、1997年に事件が。卵の不十分な加熱から、サルモネラ菌による食中毒を起こしたのだ。下痢や発熱を訴えた被害者は101人にのぼった。
「洋菓子専門店1店舗での売り上げが日本一だと言われたりして、どこか有頂天になっているところがあったような気もします、今思えば。その時はそんなつもりはなかったけれど……」(昭夫)
昭夫は、職人の勘に頼った作り方を改める。卵の湯煎では温度管理を徹底した。大切にしてきた「おいしさの3原則」の上に「安全・安心」を掲げ、2度と過ちを犯さないと誓った。
そんな様子を見て育った長沼は2011年、「きのとや」に入社。最初に任されたのが千歳市の新千歳空港店の立て直しだった。
「そもそも『きのとや』はお土産のブランドではなく、お土産が弱かったんです。1日5万円も売れない厳しい状況でした」(長沼)
そこで長沼が巻き返しのために選んだのは、子どもの頃から大好きだったと言う「きのとや」の「ブルーベリーチーズタルト」。空港店でも扱ってはいたが、工場で焼いた物を冷蔵して販売していた。長沼はこの販売の仕方を見直す。「きのとや」で仕込んだタルトを空港店で焼き上げ、鉄板に乗せたまま店頭に並べたのだ。
すると、辺りに焼きたての香りが広がり、客が殺到。苦戦していた空港店の売り上げは100倍になった。
急成長ベイクと決別~知られざる挫折と葛藤
この成功に手応えを感じた長沼は「きのとや」入社後、わずか1年にして勝負に出る。2013年、東京にチーズタルトの専門店「ベイク」を作ったのだ。空港店と同じように、製造は「きのとや」、最後の焼き上げは店舗で行った。
「北海道を代表しているような気持ちでした。おいしい北海道のお菓子は土産だから外で売らないけれど、我々は外に出て多くの人に届けていこうと」(長沼)
焼きたての甘い香りが誘うチーズタルトは大ヒット。創業から4年で店舗は40軒を超え、従業員はアルバイトを含め1000人規模にまで膨れ上がった。
ただこの時、長沼はまだ29歳。急激に増える従業員に対し、コミュニケーションをとることすら難しくなる。
「社員とどう関わればいいのかと常に思っていました。どんどん知らない人も増えて『もうダメだ』と思っていました」(長沼)
店舗も一気に増えたため、現場の状況が把握できなくなった。出店会議でひと言も発言できず、唇を噛んだこともあった。
「自分が創業した会社で貢献できていないのはつらかったです。もう会社経営はやらないほうがいいかもしれないと思うぐらい、向いてないだろうなと」(長沼)
会社が急成長する中で、長沼は苦渋の決断を下す。社長をやめ、「ベイク」を投資ファンドに売却した。ただ、この決断は「きのとや」にも影を落とす。請け負っていたベイク向けの製造がなくなり、売り上げを大きく減らしたのだ。
「半分くらい売り上げが落ちました。それは仕方がない。気がついたら従業員が1000人ぐらいになっていて、周りの幹部社員は自分より経験豊富な年上ばかり。限界を超えていたと思います」(昭夫)
長沼は一時、菓子業界を去ることも考えたが、それでも「きのとや」に戻った。
「『ベイク』を立ち上げてチーズタルトを奪い取って、東京で店を出してパティシエも使って、『きのとや』の売り上げを上下させた。これだけ『きのとや』をごちゃごちゃさせて、ここで関わらないほど無責任なことはないなと」(長沼)
長沼は「きのとや」の業績回復に邁進。これまでにない新感覚のスイーツを開発し、新たな仕事、そして売り上げを作っていった。若くして天国と地獄を味わった経験は、今につながっている。
「焦らずゆっくり、お菓子の品質を求めながら成長していくことを考えています」(長沼)
「かりんとう」が大変貌~新感覚スイーツの東京上陸
北海道コンフェクトグループが「千秋庵」の次にタッグを組んだのが「北の食品」。このメーカーが手がけるのは北海道では定番の「かりんとう」だ。しかし、「売り上げはピーク時の約60%まで落ち込み、悔しい思いがありました」(管理本部・関谷優二)。原材料の高騰もあり、「北の食品」の菓子事業は2000万円の赤字に陥っていた。
そんな会社を長沼は2022年、買収した。
「『かりんとう』も付加価値をつければ売れる。勝算はあります」(長沼)
長沼の号令でかつてない『かりんとう』の開発が始まったが、難航したと言う。
「『かりんとう』は普通『ボリッ』という食感がありますが、これを『パリッ』という軽い食感にするのは、我々にとってある意味、未知の挑戦でした」(関谷)
まず、配合を工夫しながら生地作り。これを繰り返しローラーにかけて薄くしていく。出来上がりは極限の0.8ミリだ。ここからは「北の食品」がもつ「かりんとう」製造の伝統技術を活用。中温であげて生地を膨らませ、隣の釜に移す。こちらは低温で、中までじっくり火を通す。さらに隣の窯へ。3度揚げの最後は高温でパリッと仕上げる。
その「銭函金助」(390円)は、完成までに8ヵ月をかけた苦心の一品だ。「かりんとう」なのに軽く、食べ始めると止まらなくなる。
今年6月に発売するとよく売れ、「北の食品」の菓子事業は年内黒字化の見通しとなった。
「すごい技術があっても廃業する会社はたくさんある。我々はそういう会社と提携してその技術を使い、新しいブランドや新しいお菓子作りにチャレンジしていきたい」(長沼)
長沼の次なる勝負の舞台は東京駅。11月22日、期間限定ショップ「スノー」をJR東京駅の構内に出店したのだ。
殺到する客のお目当ては「スノーサンド」、そして生トリュフチョコレートの「スノーボール」(9個、1485円)。生チョコでくるんだのは放牧牛乳をたっぷり使った生クリーム。去年のバレンタインには1分で売り切れたと言う伝説のスイーツの東京上陸だ。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
最初よくわからない人だなと思った。24歳、丸紅に就職。翌年退職、香港の投資家に「上海で菓子店を」と上海に行くが7ヵ月月でとん挫。25歳「きのとや」に入り、新千歳空港の店長に。「焼きたてチーズタルト」が大ヒット。27歳「BAKE」創業。31歳「BAKE」を売却。36歳「北海道コンフェクトグループ」を設立。いろいろとやっているが、スイーツへの想いに貫かれているのだ。34歳で冬季限定スイーツブランド「SNOWS」を生んだ。「SNOWS」のお菓子を食べると、長沼さんの優しい想いが伝わってくる。
1986年、北海道生まれ。2010年、慶應義塾大学卒業後、丸紅入社。2011年、きのとや入社。2013年、BAKE創業。2022年、北海道コンフェクトグループ社長就任。
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