「感情を論理的に考えること」が戦争を防ぐ

投資がもっと楽しくなる!日興フロッギー選書/ クロスメディア・パブリッシング角田 陽一郎

投資や資産形成をもっと楽しくするためにピッタリの書籍を、著者の方とともにご紹介する本連載。今回は、「ナショナリズムと戦争」について知ることで、さまざまな形で投資に活かす教養としていきたいと思います。元TBSのプロデューサーで数多くのヒット番組を手掛け、歴史関連の著作も多い角田陽一郎さんと見ていきましょう。[PR]

ナショナリズムの4つの意味

18世紀末のフランス革命の理念「自由・平等・博愛」は、ナポレオンの拡大戦争により、やがてヨーロッパの各地域に広がりました。その理念は各国の人々に国民国家(ネーション・ステート)という「統合」を目指すことを気づかせたのです。「一つの地域は、一つの国家として統合させよう!」という考え方です。一つの国民国家に住む人々が、その国の国民ということです。

人々は革命を通じて、「国民」というアイデンティティに気づいたのです。そのアイデンティティをナショナリズムと言います。日本語訳だと「国民主義」。ある地域に住む人たちが、「共通の文化・伝統を持つ自分たちは、共通の政府を持つべきだ」と考えるようになったのです。しかし、それなら「一民族=一国家」という体制に統合されるのが自然のはず。でも一国の中で、各民族が争っている国は現在でも数多くあります。なぜなのでしょうか?

それは、19世紀のヨーロッパ諸国の帝国主義的欲望=世界の植民地化により、彼らの都合で国家が不自然な形で統合され、その最中に民族が分断され、現在の国家にされてしまったことが大きな要因です。

そんな不自然に統合された国家の中で人々が感じるアイデンティティは、「国」ではなく「民族」にあることが非常に多いのです。その場合、ナショナリズムとは「民族主義」という意味になります。イラク・シリア・トルコという国家に分断されてしまったクルド人が典型です。

また、多種多様な民族がそれぞれのアイデンティティを抱えているにもかかわらず、その国家が無理やり1つに統合されているケース。中国内部のチベット問題など、各地での分離独立問題などはそのケースです。

このようなケースでは、ある民族が他の民族を従えて、その国を国家として1つに統合すべきだという「べき論」で主導しようとします。その場合、ナショナリズムとは「国家主義」となり、それが極端に走ると、「我が国家は他の国家よりも優れている」という「国粋主義」になります。

このように、ナショナリズムは、①国民主義、②民族主義、③国家主義、④国粋主義、という混同しやすい概念を内包した言葉なのです。

そもそも戦争とは何か?

現代の日本人は、長年にわたって戦争を直接経験しない珍しい時代を生きています。そんな私たちにとって、戦争を理解することはとても難しいことなのかもしれません。

そもそも戦争とは何なのでしょうか?

19世紀に入ると、世界分割を一応完成させた列強諸国は、自分たちの利益を最大限にするため合従連衡を繰り返し、やがて大きく2つに分かれます。

イギリス・フランスなど先に世界分割をした側=既得権益連合と、ドイツや日本などの後から世界分割に参加した側=新規獲得連合です。この二大陣営で、やがて新規獲得側が勢力圏を一気に逆転させるための既定秩序のガラガラポンを画策します。それにより起こったのが世界大戦です。

ガラガラポンは20世紀に二度行われました。いずれも、それを仕掛けたほうが負けました。そして負けたことで、チャレンジャー側が思い描いた新秩序に世界が従うことはありませんでした。

しかし、それまでの旧秩序が維持されたわけでもなく、全く新しい方向に世界が再編されていくのです。列強が築いてきた植民地では、各民族が次々と独立を果たし、国民国家を形成していきます。戦争とは、勝ち負けにかかわらず世界を再編していくアクションであることを知っておくのは、地理思考における重要なポイントです。

「核」が変えた、戦争の意味

今のところ、第三次世界大戦はかろうじて行われていません。それはなぜなのでしょうか?

20世紀以降の戦争は、それまでの戦争とは次元の違うものとなったことが主な理由だと考えられます。

それまでの戦争は、戦闘地域で戦闘のプロが行う限定的な争いが多かったのですが、市民革命により成立した国民国家から国民軍が生まれます。国民軍の誕生は、国民全員が戦争に参加することを意味しました。つまり、全員が戦争の当事者で、全員が戦争の被害者ということです。

第二次世界大戦は、究極の大量破壊兵器・原子爆弾が2つ使われ、1945年8月に終結しました。戦争被害のあまりの大きさに世界は愕然とします。それ以上の大戦は世界の滅亡を意味するということに、人類はかろうじて気づいたのです。

その後、核兵器は何度か使用を議論されたものの、現在まで使われていません。むしろ核兵器を使用させないために核兵器を保有するという核抑止力の理論が起こります。矛盾するようですが、あまりにも強力な兵器=核を持ったことで、ガラガラポンを目論む世界大戦はとりあえず起こらなくなったのです。

ある研究によれば、軍人と民間人の戦死者の割合を見ると、第一次世界大戦では軍人が戦死者の9割以上を占めていたのが、第二次世界大戦では半々となり、ベトナム戦争では逆に戦死者の9割以上が民間人となっているといいます。さらに近年は無人兵器の開発、さらにAIを使って、独自に戦闘するか否かを判断させる段階に戦争は進むかもしれません。そうすると、無人兵器が攻撃するのは、より民間人が多数になる可能性もあるのです。

感情の戦争

皮肉なことかもしれませんが、第二次世界大戦で原爆が使用された当事者の日本は、1945年以来、80年近くも戦争をしていません。でもそれは、私たちが戦争を他人事で済ませていたとも言えるのです。

そして、これからの日本はどうなるのでしょうか? 近年の国家間紛争で、主なものや日本ともつながりの深いものを挙げると、次のようになります。

《世界の国家間紛争の例》
・ロシア、ウクライナ
・日本、韓国、北朝鮮、中国
・トルコ、ギリシャ
・イスラエル、アラブ
・アラブ、イラン

こうして見ると、対立の理由はさまざまですが、宗教の違い、そして隣国同士の領有権問題が多く見られます。隣国同士は領土の境界線で未解決が多く、また境界にまたがって相互の民族が入り混じっていることも多く、文化的に離れていれば離れている考え方が対立を生み、似通っていれば近親憎悪的に対立するのです。

戦争は経済で起こるといわれてきました。つまり経済的な利権を手に入れるのが大きな目的のひとつです。経済的利権とは、主に天然資源です。たとえば石油などの天然資源の経済利益の獲得、その土地の利権争いです。そして、そこから感情の行き違いが生まれます。

憎悪が憎悪を、恐怖が恐怖を生みます。落語家の立川談志師匠は、「共同価値観の崩壊が怒り」だと看破していました。これはつまり、自分たちと相手との間で価値の相違が起こることです。その中でも最大の相違は、「相手を自分とは同じ人間と思わないこと」。そんな感情の相違こそが戦争を生み、戦争は破滅を呼ぶのです。

どんなもめごとが起こっても、戦争を起こさないためにどうするか? それを考えるのが教養です。それは、今までの数々の戦争から、私たち個人一人ひとりが学ぶべきことです。戦争からの教訓を、逆に私たちの人生にあてはめてみると、それは「感情を論理的に考えること」ではないでしょうか。

むしろ感情は、論理的思考の対極にあると思っている方が多いかもしれません。ただ、「論理的に辻褄が合っていれば、他者の感情を害そうが傷つけようがどうでもいい」的な論理で話されると、その人がどんなに賢くても有名でも、まったく論理的でないように(私は感情的にも論理的にも)思えてしまいます。感情的には嫌悪感を抱きますし、論理的には人間社会と人間個人は「感情で動く」のが論理だからです。

どういう風に言うか? 相手の反応の次に何を言うか? 互いに相手を尊重するとは、相手の振る舞い自体を考慮する以上に、実は自分の相手への振る舞いを考慮するということです。

だからこそ、「自分が傷つくくらいは、相手も傷つくんだ」という想像力が、もっとも大切な教養なのです。じゃないと世界は滅んでしまいますので。

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