投資や資産形成をもっと楽しくするためにピッタリの書籍を、著者の方とともにご紹介する本連載。個人投資家として150億円の資産を築いた片山晃さんが、投資において非常に重要な能力だと話す「想像力」。今回の記事では、片山さんのいう「想像力」とはどんなもので、どうやって磨けばいいのかを考えてみましょう。[PR]
「事実」を知ることによって想像力は養われる
僕にとっての「想像力」は、「予想」や「予測」といったものとはニュアンスが異なります。ある事象から想起される可能性について幅広く検討することを、「想像力を働かせる」と言っています。
たとえば故スティーブ・ジョブズ氏がまだアップルでパソコンをつくっていた頃に、もし「彼は将来、iPhoneというすごい製品をつくって世界に衝撃を与える人物になるだろう」と言った人がいたとしたら、それは「予言」というべき話でしょう。しかし、iPhoneの発表時点で今のアップルの状況を「予期」することができたら、それは「予想」や「予測」の範疇に入ると思います。投資のアイデアとしては、この段階から買いに入ることもあります。
それに対して、実際にiPhoneが発売されて売れ出したのを見て、「この勢いはどこまでいくだろうか?」と考える能力を、僕は「想像力」と定義しています。
では、どのようにしてこの想像力を養うか? これは、現実に起きた事象のパターンをとにかく拾い集めていくしかないと考えています。
2005年の冬に、みずほ証券が「1株66万円」で売る注文を、誤って「1円で66万株」と入力してしまった、日本一有名な誤発注事件、「ジェイコム事件」が起きました。
その時、僕はリアルタイムでその様子を目撃していました。ところが、ただの1株も注文を出すことができませんでした。「誤発注」という概念そのものが僕の頭になかったため、今起きていることが何で、それがどんな機会をもたらすのかについて想像力を働かせる材料を持たなかったのです。
しかし、その数年前に電通株で起きていた大規模な誤発注事件を知っている投資家にとって、ジェイコムに出た発行済株式数を上回る異常な売りは、空前絶後の儲けのチャンスに映ったでしょう。次の瞬間には、誤って売ってしまった株を買い戻すための膨大な買いが来ることを過去の経験から知っていたからです。
東日本大震災の直後には、備蓄用の食品や災害グッズが売れに売れたといいます。また、地震保険やマンションの耐震性に目を向けるようになった人も多いでしょう。これも、あるひとつの事実によって想像力が喚起された例です。
人は、それまで見たことも聞いたこともないことに対して想像力を働かせろといっても、なかなかできるものではありません。しかし、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、僕たちが忘れていたり知らなかったりするだけで、案外、世の中に起きていることにはある特定のパターンがあったりします。
大きく飛躍した企業、爆発的に売れたヒット商品、突如ブームになったお笑い芸人など、世の中に起きているあらゆることが、想像力を養う糧になり得ます。
大事なのは、それを何かのサインやパターンとして受け取るのか、単なる事象として見過ごしてしまうのかという姿勢の問題なのです。
投資力の源泉となるのは「ふとした疑問を持つ」こと
僕にとっての投資とは、現在と未来の価値の間にあるギャップを埋める行為です。それは、変化に気づく力であり、それがもたらす未来を考え抜く発想力や想像力でもあります。
この投資力の源泉となるのが、「疑問を持つ」ことです。
会社帰りに通る道沿いの店がいつも行列をつくっていれば、「この店はどうして繁盛しているのだろう……?」と考える。
そのように、普段、何気なく見過ごしていることにもふとした疑問を持つことが、投資力の源になっていきます。
「いつから繁盛しているのだろうか? オープンしたのはいつ? はじめから行列の店だった? ある時から人気が出たとしたら、その前後で何があったのだろう? 味がよくなったから? サービスが受け入れられたから? 宣伝が上手くいったから? それとも、人々の嗜好が変わったのだろうか……?」
そうして考えながら歩いているうちに、ふと道路の反対側を見やると、新しくできた巨大な商業施設の姿が目に飛び込んできます。「なんだ、そういうことか」。
これは投資としてはガッカリのパターンですが、それでも目の前の事象に対して想像力を働かせてひとつの答えを見つけられたわけですから、一歩前進です。
これがもし、別の駅にある他の系列店でも行列ができているとわかったら、大きな投資のチャンスになります。
たまたまその時は新しくできた商業施設の集客力のお陰だったという結末だったとしても、このように世の中に起きているあらゆる変化に対して疑問を持ち続ければ、いつか大きな流れを掴む機会が必ずやってきます。「なぜこうした変化が起こったのだろう?」と疑問を持ち、考えを尽くすのです。
ネットの時代でも、投資に新聞が役に立つ理由
事象として目の前に現れた業績数値の変化から、その背景と今後を正確に予測するためには、根拠となる判断材料をどれだけ持っているかが重要になります。
ラオックスという老舗の家電量販店の株価は、2014年の終わりから半年後には7倍に急騰しました。この企業は家電量販店としては競争に敗れてしまったのですが、その後の再建の過程で中国の同業大手の傘下となり、中国人観光客をターゲットとした免税ビジネスに事業を大きく転換していました。
そこに円安の追い風が吹いて一躍「インバウンド銘柄」の筆頭格となり、実際に8期連続の赤字から、一転して17.3億円の営業利益を叩き出す成長株へと変貌した瞬間があったのです。
答えを知っている今だからこそ、このように解説ができますが、僕はラオックスが2014年の8月に業績予想の上方修正をした時点では、このようになることをまるで予想できていませんでした。訪日外国人がうなぎ登りに増えているらしいということは知っていても、ラオックスが免税ビジネスに転換していて、中国人が殺到しているという事実までは把握できていなかったのです。
僕はラオックスの上方修正を見てもいまいちピンと来ませんでした。しかし、これらの事情を知っていた人にとっては、あの上方修正は「点と点が線でつながった瞬間」だったに違いありません。同じ上方修正という情報でも、受け手によってその見え方がまったく異なることがあるのです。そこに、大きな利益のチャンスが潜んでいます。
そのためにも、日頃から幅広い分野の情報を総合的に収集しておくことは、投資家にとって必須の行動となります。
そういう意味で、僕は新聞を読むことをとても大事にしています。今や情報そのものはネットでいくらでも手に入るし、速報性の面では、新聞を代表とする紙のメディアはまるで役に立たなくなりました。ですが、逆にネットの場合は紙面や時間の制約がなく情報が垂れ流しになっているので、どれが本当に重要なことなのかを自分で判断する必要に迫られます。
その点、新聞は1日に一度読むだけで、編集者がこれは記事にすべきだと考えた重要な情報を網羅的に受け取ることができます。この「受け取る」という感覚が実は大切で、能動的に何かの情報を得ようとすると、どうしてもそこには個人の趣味嗜好が入って観測範囲が偏りがちになってしまいます。
投資家という生き物は、薄く広くいろいろなことに通じていることが価値になるので、新聞のように総花的な情報を受動的に与えてくれるメディアは実に相性がよいのです。
情報収集のスタイルは人によってそれぞれあると思いますが、いずれにしても幅広い情報や価値観に触れておき、ひとつでも多くの事象に対して答えを導き出せるようにしておくことが、投資家としてのあるべき姿といえるのではないでしょうか。