岡山の「桃太郎伝説」が日本遺産になったワケ

思わずドヤりたくなる! 歴史の小噺/ 板谷 敏彦

47都道府県、「この県といえばこれ!」というとっておきの歴史の小噺をご紹介する連載です。作者は、証券会社出身の作家・板谷敏彦さん。大の旅行好きで、世界中の主な証券取引所、また日本のほとんどすべての地銀を訪問したこともあるそうです。

第43回は岡山県。日本のおとぎ話でもっともポピュラーといえる「桃太郎」。各地に伝説は残っていますが、日本遺産に認定されたのは岡山だけです。今も残る桃太郎伝説の舞台とは?
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岡山平野は海面の下にあった

岡山県北部は東西に1200メートル級の山々がそびえたつ中国山地である。山地の南には津山と新見を東西に結ぶ盆地が形成され、再び隆起して高原となる。さらに南下すると、ゆるやかな傾斜が続き岡山市や倉敷市がある岡山平野を経て瀬戸内海へと至る。

今から6000~7000年前に「縄文海進」と呼ばれた海面水位の高い時代があった。その時の岡山平野は海面下にあり、島々が浮いているような光景だった。

現在、中国山地を源とする大きな3つの河川ーー西から高梁川、旭川、吉井川ーーが、南北に流れて瀬戸内海へ注いでいる。縄文海進の後、この3つの河川が上流から運んできた土砂が堆積して沖積平野となった。

また江戸時代には治水対策と新田開発のため大規模な干拓が行われて平野部が拡大。明治以降も干拓や埋め立てが行われて現在の岡山平野になった。

3つの河川が土砂を運び、やがて岡山平野となった

※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。

日本遺産「桃太郎伝説」が生まれたまち おかやま

JR岡山駅の後楽園口(東口)には桃太郎像がある。「桃太郎」はおそらく日本で一番ポピュラーなおとぎばなしだろう。そのため「桃太郎発祥の地」の下敷きとなる伝説は数多く、全国各地に存在している。

しかし、その中でも岡山だけが『「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま』の名称で日本遺産としてゆかりの地の認定を受けている。日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定する文化財群である。

確かに伝説を裏付ける舞台となった遺跡があり、桃の産地として名高い岡山は桃太郎発祥の地としてふさわしい。

犬、猿、雉をお供にする岡山駅前の金太郎像

桃太郎伝説の元になった鬼ノ城に住む鬼との戦い

岡山市の北西、岡山平野を見下ろす高原地帯の南端に鬼ノ城(きのじょう)がある。今では海岸線から距離がある鬼ノ城も、海進していたころはもっと海に近い場所だった。

岡山の桃太郎伝説は、この城に住む温羅(うら)と呼ばれる鬼と吉備津彦命(きびつひこのみこと)が戦う温羅伝説が原型になっている。

温羅は人間の身の丈をはるかに超える大きな鬼で、村人を襲い、悪事を重ねていた。そこで、大和の王は孝霊天皇の王子・吉備津彦命に温羅退治を命じた。吉備津彦命は、現在の吉備津神社の場所に陣を構えて鬼ノ城の温羅と対峙した。

吉備津彦命は強烈な矢を放つが、温羅は石を投げて撃ち落とし、すべて地面に落ちてしまう。そこで困った吉備津彦命は同時に二本の矢を放つと、その内の一本が温羅に命中し、そこからどくどくと血が流れ、川になった。

すると温羅は鯉に姿を変えて逃げた。そこで、吉備津彦命は自身を鵜(う)の姿を変えて追いかけ、遂に温羅をとらえたのだという。

そして、討ち取った温羅の首を陣の下(現在の吉備津神社)の釜に封じたとされている。

さらに、この時吉備津彦命と行動を供にした随神には、犬飼部犬飼健命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)=犬養氏 、猿飼部楽々森彦命(さるかいべのささきもりひこのみこと)=藤井氏、鳥飼部留玉臣命(とりかいべのとめたまおみ)=鳥井氏、の3人の”命”がいたとされている。これが桃太郎にお供した、犬、猿、雉になったのだと伝えられている。

かくして吉備津彦命による温羅(鬼)退治が時代を経て変化して、やがて桃太郎の鬼退治になったというのである。

各地に残る桃太郎伝説の舞台

※この地図はスーパー地形アプリを使用して作成しています。

温羅伝説の舞台となった吉備津神社

岡山には「矢喰神社」や「血吸川(ちすいがわ)」、「鯉喰神社」など、温羅伝説にまつわる場所が今も数多く残され、伝説の記憶を留めている。

そのうちのひとつ、吉備津神社は吉備津彦命が温羅退治の陣をおいた場所といわれる格式の高い神社である。鬼退治の矢を置いたと伝わる矢置岩、鬼の首を埋めたと言われる御竈殿(おかまでん)など、伝説の舞台が残されている。

360メートルもある長い回廊も有名で、しばしばCMやドラマなどの撮影に使用される。筆者が訪れた時は結婚式用写真の前撮りが行われていた。

少し離れた場所には、同じ吉備津彦命を祭る吉備津彦神社がある。どちらか片方だけを参るのを「片参り」と呼び、両方参拝するのが慣わしなのだそうだ。

吉備津神社で有名な360mの長い回廊(下り坂)

犬養毅の先祖は桃太郎の家来だった!?

吉備津神社の門前から少し離れたところに、大正デモクラシーを牽引した政治家・犬養毅(1855年~1932年)の像が建っている。犬養は大庄屋・犬飼源左衛門の次男として生まれ、青年期に自ら姓を犬養に改めた。桃太郎伝説では犬の役に相当する由緒ある家系である。

生家は現在、「犬養木堂記念館」として吉備津神社から南へ2キロメートルほどのところに残されている。木堂とは犬養毅の号(注:本名とは別に使用する名称)である。若い頃、朝野新聞の記者として働いていた時、犬養毅=木堂、尾崎行雄=咢堂、町田忠治=幾堂の三堂として活躍していた(第32回秋田県)。

犬養毅の先祖は桃太郎の家来だとされている

温羅が住んでいた鬼ノ城の正体

桃太郎伝説で温羅(すなわち鬼)の根城とされた鬼ノ城は、長らく謎の存在だった。しかし、1970年代に本格的な調査が行われて以降、全容が明らかになりつつある。

西暦663年の白村江の戦いで唐・新羅連合に敗れた日本・百済連合は、敵の侵攻に備えて日本国内の防御を固める必要に迫られた。当時は瀬戸内海を通って侵攻してくるルートが予想されたため、いくつかの要所に城を作った。その過程で、この鬼ノ城も作られたと考えられている。

だからと言って温羅伝説がまったくのでたらめという事では無いだろう。昔大和の朝廷に従わない有力な豪族が吉備地方に存在し、これを朝廷が討ったという。吉備津彦命と温羅との戦いは、実は大和と吉備の対立だったのかもしれない。

城域は30ヘクタールもあり周囲を巡ればハイキングになる。山の上に見える誰のものとも知れぬこの城は、伝説作りにちょうど都合が良かったのだろう。眺めの良い回廊を歩けば温羅伝説も本当だったのではないかと、ある種幻想的な気持ちにもなる。

発掘調査が続く鬼ノ城の西門

岡山のおすすめ観光スポット&グルメ

観光スポットには、前述の桃太郎伝説の舞台をおすすめする。

鬼ノ城は現在も発掘調査中で、訪問者のためにビジターセンターが設けられている。日本百名城のひとつでもある。

東京方面から訪れる場合、空路で岡山桃太郎空港に入ってレンタカーを借りると、鬼ノ城や吉備津神社など周辺を巡りやすい。そしてそのままJR岡山駅前で返却すれば後の観光に便利である。

さらに、岡山市街の名所では、鬼ノ城と同様に日本百名城のひとつである漆黒の「岡山城」と、旭川を挟んで隣接する日本三大名園のひとつ「後楽園」がある。

筆者が岡山城を訪問した時は朝で、旭川にちょうど朝靄がかかっており幻想的な景色を見ることができた。城はめずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天守を持つ。

天守閣のなかにある展示は岡山城のHP同様に工夫されており、非常に見学しやすい。

朝靄がかかる岡山城は幻想的

夕食は地元で評判の居酒屋「酒囲屋本店」でいただいた。岡山は瀬戸内海の美味しい魚があるのに、何故か名物として自慢しないと地元の人がぼやいていた通り、魚介類は確かに美味しかった。

瀬戸内の美味しい魚を盛り合わせたお刺身

岡山はJR岡山駅と、中心街の城下筋が路面電車で3駅分ほど離れている。中心街には県庁、デパート、金融街が集まっている。その中間に用水路沿いを利用した西川緑道公園があり、良いバーがいくつか集まっている。

おすすめは「Utena Bar」。オーセンティックなバーで、バーマンは日々技術研鑽に励んでいる。岡山らしいフルーツカクテルも得意である。

Utena Barの窓から見える、ライトアップされた西川緑道公園