この記事は2024年6月6日に「テレ東プラス」で公開された「公園を人の集まる人気スポットに!飲食業界の異端児の挑戦:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。今回、「カンブリア宮殿」に登場されたのは、ゼットンの鈴木伸典社長です。
半年先まで予約のウエディング~公園が人気スポットに
東京・江戸川区の葛西臨海公園。ハワイアン風ウエディングの撮影ができると、人気になっている。公園のど真ん中で結婚式も行われる。挙式の後は公園のテラスで披露宴だ。
振る舞われるのはバーベキュー料理で、アンガス牛のリブロースやジャークチキンなどを自分たちで焼くスタイルだ。
この結婚式&披露宴は1日1組限定で、料金は60人の招待客で150万円から。似たような規模だと、首都圏のホテルなら約400万円、レストランでも300万円ほどかかるから、かなりお得だ。
葛西臨海公園が結婚式のサービスを始めたのは2019年だ。今では半年先まで予約が入るほどの人気となっている。
東京都が東京湾沿いに都立葛西臨海公園をオープンさせたのは1989年のこと。
東京ドーム20個分という広大な敷地と南国を思わせる景観を売りにした。しかし、2000年代に入ると施設の老朽化もあり入園者数は低迷、それが再び人気スポットになった。
その理由はウエディングだけではない。公園の中心部にあった昔ながらの食堂はポップな「パークライフカフェ&レストラン」に変身した。南国気分が上がるハワイ料理の「ロコモコ」(1200円)や酒が進みそうな「ガーリックシュリンプ」(890円)、「マグロとアボカドのポキ・ライスボウル」(1400円)などが楽しめる。
また、以前は休憩所だったスペースは家族連れで賑わう「クリスタル・カフェ」に変貌した。人気の「ピクニックセット」はサンドイッチとドリンク2人前、レジャーシート付きで2000円だ。
長年、使われずに放置されていた場所は「ソラミドバーベキュー」という手ぶらでOKのバーベキュー広場になった。特注のガスグリルを完備し、信州・安曇野産の豚肉など、こだわりのメニューが味わえる(「カジュアルバーベキューコース」1人3850円/平日・ソフトドリンクの飲み放題ほか)。さらに2000円プラスでアルコール飲み放題になる。
葛西臨海公園は、こんなリニューアルで家族連れを中心とした多くの客を呼び込んでいる。人気スポットに変えたのは東京・渋谷にある民間企業のゼットンだ。
1995年創業のゼットンの本業は飲食だ。東京やハワイを中心に80店舗近くを運営、売上高は125億円(2024年1月期)。代表ブランドが代官山や中目黒にある「アロハテーブル」だ。
ハワイ産の希少な蜂蜜をかけて食べる「ビッグアイランド・ビーハニー パンケーキ」(1089円)など、ハワイ体験にこだわっている。
ゼットンが公園の事業に乗り出すきっかけとなったのが2017年の法改正だ。収益の一部を公園の整備に還元することで、民間企業が公園で自由なビジネスをしやすくなった。この制度を利用してゼットンは各地に進出した。
例えば九州国立博物館(福岡・太宰府市)に隣接した庭園には、眺めのいいカフェを作り評判になった。中之島公園(大阪市北区)にはリバーサイドのビアガーデンを仕掛け大盛況となっている。公園事業はまだ始めて4年だが、売り上げは2倍以上に伸びた。
神奈川・藤沢市の鵠沼海浜公園で、「天気が良ければ富士山が見えて絶景です」と言うのはゼットン社長・鈴木伸典(52)。
ここには夕景を眺めながら食事のできるテラス付きのカフェを作るという。海から上がったサーファーがそのまま入れる出入り口も作る気だ。
公園を変えるゼットン流秘策~眠れる「宝」をフル活用
公園の中に店を作る時、鈴木はあるポリシーを貫いている。
「そこにどんなレストランがあれば、その街はもっと使いやすくなるか、もっと歩きやすくなるか。そんなことを考えて今まで店を作ってきました。それと同じことが公園にも言えるかなと」(鈴木)
〇公園を変える秘策1~宝を見つける
岐阜市のシンボル・金華山の麓に広がる岐阜公園で、官民一体となった再整備が始まる。その事業者のひとつにゼットンが選ばれた。
現地を訪れた鈴木は、必ず自分で時間をかけて歩くことから始めると言う。探すのはその場所にしかない「宝」だ。岐阜公園で見つけたのは「包み込んでくれるようにそびえ立つ金華山、そして精かんで凛々しく作り込まれた庭園」だと言う。金華山と庭園という見る者の心を和ませる景観。この宝を最大限に生かす施設として景観一望のレストランを作るつもりだ。
〇公園を変える秘策2~宝を生かす仕掛けを作る
2023年、鈴木は横浜市中区の山下公園にカフェ「ザ・ワークハウス山下公園」をオープンさせた。そのテラス席に設けたのが足湯だ。
山下公園の宝は独特の風情を持つ横浜港だとして、その風情をじっくり味わえる場所を作ったのだ。
カフェで提供するメニューにも横浜の「宝」とも言えるものを加えた。
また横浜は、1869年に日本で初めてビールの醸造所ができたビール産業発祥の地でもある。
これを宝に見立て、地元製造のクラフトビール「横浜ビール」(Mサイズ1000円。Lサイズ1300円)を提供している。オープンから1年で2万杯以上が売れ、これを目当てにくる客も多いと言う。
〇公園を変える秘策3~地元企業を巻き込む
「横浜ビール醸造所」が作っている「横浜ビール」。製造開始から25年が経つが、なかなか認知度が上がらず悩んでいた。しかし、ゼットンのカフェに卸し出すと「飲食店さんの中では一番売っていただいている。間口が広がり大変ありがたいです」(「横浜ビール醸造所」田尻和彦)。
その「横浜ビール醸造所」を訪ねたのはゼットン公園再生事業室の責任者、野尻徳也だ。山下公園のカフェ限定でオリジナルビールを出せないかと言う。生ビールに加えて、横浜市の市花・バラの香りのビールも提案した。
こうして地元の魅力的な企業を巻き込み、共に戦っていくのだ。
山下公園の店舗運営には多くの数の企業が入り、ゼットンが代表を務めている。協力するのはビジネスだけではない。この日、ゼットンの社員が足を運んだのは山下公園の近くにある洋菓子店だ。公園の清掃といった社会活動も店舗に呼びかけ、巻き込んでいくのだ。
「山下公園の活性化につながると思い、声をかけさせて頂きました」(企画広報担当・白川真弓)
こんな取り組みを続けるゼットンの元には、全国の自治体や企業から問い合わせが殺到している。
「素敵な公園があるからここに住みたいという、最終的にはその街に住みたい人を増やしたいと思っています」(鈴木)
毎日10キロ走る飲食の異端児~大病を機に公園再生に挑む
趣味がトライアスロンの鈴木にとってランニングは日課だ。仕事を終えた後、毎日10キロも走っていると言う。
「走っている時は、通常の生活をしている時よりも自分の感覚が少し上がる。いつも気がつかないところに気をつけるということはあります」(鈴木)
鈴木は1971年、岐阜・山県市の生まれ。実家は家族で縫製工場を営んでいた。
「夕食が常に工場の会議の場でした。今月はこれぐらい売り上げが行きそう、とか」(鈴木)
そんな環境から、自分も将来、事業をやってみたいと思うようになる。しかし、大学時代は夜な夜な繁華街へと繰り出す生活を送る。バーテンダーのアルバイトを始め、ついには就職浪人してしまう。その頃、バーテンダーの先輩が独立し、「うちで働かないか」と誘われた。それがゼットンの1号店だった。
入社した鈴木は店長を任され、業績の悪かった店を立て直すと、この仕事に夢中になる。
「自分で事業をやろうと思えば独立しないといけない。でも、たくさんいる部下と離れることも悩ましい。どうしたらいいかと考えたら、ゼットンの社長になればいいと思ったんです」(鈴木)
2001年、ゼットンは東京に進出。鈴木が責任者を任され、3年後には売り上げを10億円まで伸ばした。この実績から33歳で副社長に就任した。
だが突然、体調に異変を感じた。下腹部に違和感を覚え、調べてもらうと軟骨の良性腫瘍と判明した。ただし愛知県がんセンターの医師からはこう告げられたと言う。
「『このまま放っておくと歩けなくなる。手術が成功する保証もない。それで歩行困難になるかもしれない。どっちがいいですか』と言われた。歩けない自分を想像できなくて……」(鈴木)
幸い手術は成功し、そのリハビリでランニングを始めた。街を走り出すと、これまで見ていなかった景色に目がいくようになったと言う。
「日々、駒沢公園を走るという日常を送るようになり、公園も飲食店を作ってきたノウハウで作れるのではないかと思ったんです」(鈴木)
2016年には事業継承し、鈴木が社長に就任した。その後、葛西臨海公園での飲食事業が公募され、鈴木自ら現地を訪ねてみると、驚いた。
「自然環境がもう宝。新たなビジネスチャンスがそこに広がっていると思いました」(鈴木)
ところが、社内会議では反対に遭う。当時、公園はやんちゃな若者たちの溜まり場になっていて、住民の憩いの場とは言い難い状態だったのだ。
それでも鈴木は反対を押し切り、公園事業に乗り出す。以前、ハワイで成功したウエディングのプロデュースのノウハウを葛西臨海公園でも活かせるのではと思ったのだ。しかし、自治体に提案してみるとそこでも「希望者はいるのか」と、つれない反応だった。
「こんなにみんな、葛西臨海公園のことをネガティブに捉えているのだと、初めて感じました」(鈴木)
それならば、ファミリー層に使い勝手のいい公園に変えていこうと思い立つ。
まず、子どもたちが楽しく遊べる「キッズスペース」を設置した。親はその様子を見守りながら食事などを取れるようにした。
さらに、ファミリー層に施設を知ってもらうためのさまざまなイベントを打っていく。バーベキューとセットの体操教室、子どもが生の魚をさばく体験イベント……。すると、公園の客層も少しずつ変わっていった。
今では「怖い公園だったのが、子どもたちが集まれる公園になった」(住人)と言う。
部活動が仕事に活きる~ゼットン流社員のコミュ術
神奈川・藤沢市の江ノ島・片瀬海岸。週末には多くのサーファーたちが波を求めてやってくる。
そこで講習を受けている一団がゼットンの社員たちだ。彼らはゼットンのサーフィン部だ。こうした部活動がゼットンは盛んなのだ。
初心者には先輩部員がアドバイスをする。普段働いている場所はバラバラで、顔を合わせることはほとんどない。だが、こうして過ごしていくことでお互いの距離が縮まっていく。
「あまり関わりのない部署の人たちとコミュニケーションを取れます。乗れた時には褒めてくれる」(営業企画部・宇野真夏)
部活動に参加するかどうかは社員の自由だが、会社としても活動費をフォローしている。サーフィンの講習はレッスン料1人5000円だが、半分は会社持ちだ。
「半分会社に出してもらえるから、残りの半分でみんなでランチを食べに行ったりします」(販売・商品開発部・古田淳)
他にも軽音部やランニング部など、いくつもの活動が継続中だ。部活動は業務でもプラスの効果が現れていると言う。
サーフィン部で一緒に海にいたメニュー開発の古田とSNS宣伝担当の宇野はこの日、SNSに載せる新メニューの写真を検討していた。
役職では古田が上だが、宇野も負けていない。ざっくばらんに話し合えるのも、部活動でコミュニケーションがとれているからだという。
「最初は話しかけるのがちょっと怖いという気持ちがあったのですが、サーフィン部で褒めてくれたり、手料理を振る舞ってくれたりして、気軽に話しかけられそう、と」(宇野)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
山下公園の足湯はヒットだった。足湯だから、靴や靴下を脱がなければならない。それだけで開放的になる。眼前に広がるのは、日本でも有数の港町だ。鈴木さんは34歳のとき軟骨芽細胞腫という病にかかり、一生車いすの生活も覚悟した。幸い手術は成功し、リハビリではじめた運動からトライアスロンに。公園でジョギングするうち、公園をもっと長い時間を過ごせる居心地のよい場所にという気づきが生まれた。腕には年代物のロレックスが。創業者がくれたものだ。友情の時計がいつも腕にある。
1971年、岐阜県生まれ。愛知大学卒業後、1996年、創業者に誘われゼットン入社。2001年、東京進出。2004年、取締役副社長就任。2016年、代表取締役社長就任。
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