今の業績と未来への期待を映すといわれる株価。過去の株価推移を振り返ると、その企業のターニングポイントや沿革がどんな風に投資家に映っていたのかを読み解くことができます。そこで今回は総合不動産として世界を舞台に活躍する三井不動産について、歴史と株価を振り返ってみましょう!
三井不動産の上場は1949年5月
大型ショッピングセンターの「ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」でおなじみの「
三井不動産
」。そんな同社が上場したのは、東京証券取引所が再出発を果たした1949年5月でした。
はじまりは呉服店「越後屋」創業の三井高利
江戸時代に、三井高利が江戸日本橋に呉服店「越後屋」を創業。近代に入ると、金融・貿易鉱山など事業を拡大し、1909年には全事業を統轄する「三井合名会社」を設立します。1914年には不動産を管理する不動産課が独立。いまの「三井不動産株式会社」が誕生した瞬間です。
日本の経済成長とともに事業が拡大
1947年に日本証券取引所は解散となりましたが、財閥解体などの動きによって株式所有の大衆化が急速に進展。1949年5月に東京証券取引所の取引が再開し、同社もそのタイミングで上場しました。
そうした中、1950年代後半の高度経済成長期を前に取り組まれたのが、京葉臨海地区の埋立事業です。財政難にあった千葉県をサポートしながら、京葉臨海地区に様々な企業を誘致しました。同社はこれを機にデベロッパー事業をスタートさせます。
また1968年には、日本初の超高層ビルディングとして「霞が関ビルディング」が竣工します。これ以降、東京の街が抱える緑地やオープンスペースの減少等の都市問題に対する解決策として、ビルを高層化することで地上に緑や人々の憩いの場を確保するという新しい発想が生まれたとのこと。いまの東京を支えるビル街の礎とも言えますね。
本邦初のアウトレットモールを展開
いまではすっかりおなじみとなった様々なブランドや飲食店が集まる「アウトレットモール」。1980年代にアメリカで誕生した「アウトレットモール」という新しい流通形態の商業施設に着目し、日本で初めて展開したのも三井不動産です。
1995年の「鶴見はなぽ~とブロッサム(現・三井アウトレットパーク大阪鶴見)」を皮切りに全国に展開し、いまでは13施設にまで拡大しています(2023年度末時点)。三井ショッピングパーク・ららぽーとと合わせると34施設にもなり、国内トップクラスのブランド力・集客力を持ち合わせた商業施設を運営しています。私たちの暮らしに欠かせない企業の1つと言えますね。
街づくりを通じて「産業デベロッパー」へ
そんな同社の現在は、オフィスや商業施設だけでなく、住宅、ホテル、ロジスティクスまで様々な分野を展開。街づくりを通じて、「産業デベロッパー」への変化を標榜しています。
売上高は13期連続、純利益は3期連続の過去最高へ
2024年3月期決算では売上高が12期連続で過去最高を更新、営業利益、経常利益、純利益は2期連続で過去最高益を達成。この業績は主力事業である賃貸事業に加え、分譲、マネジメント、施設営業(ホテルや東京ドーム)といったコア事業が、それぞれ伸長した結果のようです。
2025年3月期も主力であるオフィス事業の賃料上昇や、東京ドーム事業、ホテル・リゾート事業の更なる成長が見込まれ、売上高は13期連続で過去最高を更新、純利益は3期連続の過去最高益の業績を見込んでいます(会社予想)。
EPS平均成長率+8%以上、ROE10%以上へ
同社は長期的なグループ戦略として、長期経営方針「& INNOVATION 2030」を定めています。コーポレートメッセージである「さあ、街から未来をかえよう」という言葉からは、同社が街づくりを通じて人々の生活をよくしていこうという想いがうかがい知れます。
また、業績面についても2030年に向けて、ありたい姿を提示しています。「成長性指標」としてEPS(1株あたり利益)成長率を+8%/年以上(CAGR)と定めていたり、「効率性指標」としてROE(株主資本利益率)を10%以上と定めていたりします。いずれも株式市場で投資家が重視する指標であり、ステークホルダーを大切にする同社の方針が反映されています。
日本の経済成長をけん引し、街づくりを通して「産業デベロッパー」を目指す同社。今後もさらなる成長が期待できそうですね。
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